アカインコ

アカインコ。ここは国際通りにある沖縄ハイボール居酒屋なんですけど、ずーっと気になってたんです。
アカインコって何だろう、名前に何か意味があるのかなぁって。
で、調べてみるとちゃんと意味がありました!
アカインコは、赤犬子からとった名前と思われ、沖縄では唄・三線の始祖と言われている結構有名な方でした。

知らなくてすいません・・(笑)

お店のホームページで

「沖縄文化を広く深く正しく全世界に発信しよう」を合言葉に食を中心に事業を展開してきた。

株式会社JCC ホームページ 代表挨拶より

この様に挨拶しているので、赤犬子からとったのはまず間違いないのかと。
僕に興味を持たせてくれてありがとうございます(笑)

唄・三線の始祖 赤犬子 

赤犬子は、読谷間切楚辺出身で、尚真王の頃の吟遊詩人と言われています。
クバの葉の柄で棹を、幹でワクを、弦は馬の尻尾の毛を使い沖縄で最初の三味線を作ったと言われています。
音楽好きで自分で作った三味線を担ぎ、各地方の村々や里々でその地方の面白い話や民話、伝説などを即興で歌って巡歴したそうです。

尚真王の時代、中央政権が確立され、政治・経済・文化の全てが首里王府を中心に活動が行われ、各間切の按司たちも首里に集中。地方農村は衰退し過疎化現象を起こしていたと言われています。
世の中の流れに疎く、娯楽の少ない地方農村の人たちにとって、彼がかき鳴らす三味線の音や即興のおもろ、国のまつりごとの話など村人にとって、彼は文化の伝道者でした。
沖縄最古の古謡「おもろそうし」には、彼が各地を吟遊して歩いていた頃の逸話が数多く記されています。

赤犬子の逸話

一説には不思議な力を持っていたとも言われる赤犬子。数多くある逸話の中から、彼の最後を伝える逸話を紹介します。



恩納村間切瀬良垣にやってきた赤犬子。お腹が空いたので船大工にたちに食事を分けてくれるよう頼みました。すると「この乞食め!あっちへ行け!」と追い払われてしまいました。
仕方なく、隣村の谷茶へ行き、そこでも船大工に食べ物をねだりました。
すると、彼らは親切に「どうぞどうぞ」と分け与えました。
そこで彼は、「瀬良垣の船は水船(みじぶに)、谷茶の船は速船(はいぶに)」と歌ったそうです。
すると、彼の歌の通り瀬良垣の船は沈没、谷茶の船は水を切って走ったそうです。
「俺たちの船が沈んだのはあいつのせいだ!」と、怒った瀬良垣の船大工は、赤犬子を追いかけ殺そうとしました。
赤犬子は逃げましたが、とうとう森の中に追い詰められ、もはやこれまでかと観念し、持ってる杖を立てるや昇天して消えたと言われています。

この昇天したと言われている場所が、読谷村楚辺の高台で、現在は“赤犬子終焉の地“の石碑が建っています。また、地元の人によってお堂が建立され、赤犬子神社と名付けられ今でも地元の人、音楽関係者に大切にされています。

赤犬子とアカヌクー

この赤犬子神社、地元の方には“アカヌクー“と呼ばれており、アカヌクーを直訳すると“赤の子“ってなるんですよ。
赤の子・・?どういうことだ??
そして赤犬子って名前、そもそも珍しすぎやしないかい?
元からそういう風に言われてるだけですって言われたらそこまでですけど、もしかしたら出生に秘密があるのかもしれません。ということでそこも調べてみました!!



赤犬子の母親は、読谷間切楚辺に住む屋嘉チラーという美しい女だったそうです。
その美しさから村の青年達に人気で、毛遊びに誘われることもしょっちゅう。
しかし、チラーは一向に誘いにのってくれません。
それもそのはず、チラーには許嫁のカマーとい男がいました。やがて、その事も知れ渡る様になりました。
すると、チラーを独り占めしている許嫁を妬んだ村の青年達は、カマーを殺してしまいました。
その時のチラーの悲しみと嘆きは傍目にも痛々しいほどだったといいます。

その事があってから、チラーは飼ってた赤犬をとても可愛がり寂しさを紛らわしていました。
その頃チラーは、殺されたカマーの子を孕っていました。
村ではチラーのお腹が大きくなるにつれ色んな噂が流れはじめました。
「カマーはすでに死んでるし、カマーの子とは考えられない。彼女は赤犬を可愛がってるから、きっと赤犬の子に違いない!」と、この様に憶測が尾ヒレがついて噂され、村中に広まっていきました。
この噂に居たたまれなくなったチラーは、ついに村を逃げ出しました。
その後の彼女の消息はわかりませんでしたが、のちに彼女は津堅島へ渡り男の子を産んだあと、自害したと言われています。
このことを伝え聞いた彼女の両親は、男の子を楚辺に連れ帰り育てたそうです。
この子が、のちの赤犬の子という意味でアカインコと呼ばれる様になりました。


と、ありました。
やっぱり赤犬子って名前は出生に秘密があったんですね〜。

ついでに、こんな横断幕も見かけました。

これは津堅島のシヌクガマという場所に赤犬子生誕の地の碑を建立した記念に、さんしんの日のラジオ生中継をそこからやりますって横断幕ですね。

赤犬子神社で

赤犬子神社(アカヌクー)に訪れたとき、キレイなところだなぁって思ったんですが、こんな看板がありました。
鳥居にホウキとちりとりがかかってたので、僕も掃除をしてから手を合わせました。
掃除してる時に親子連れが来て「一緒に掃除してもいいですか〜?」って一緒に掃除してたんですけど、誰かと掃除するとめっちゃ気持ちいいですね(笑)

こうやって訪れた先で掃除をする事ってなかなかないからいい経験になりました。

でも掃除をしながら、“津堅島に逃げたけど息子は連れ戻されて、そこで息子まで赤犬子って呼ばれたのかぁ。そりゃあ吟遊詩人になって村を飛び出して各地を放浪するよなぁ“なんて思ったり。

亡くなった(昇天した)後もこうやって赤犬子と呼ばれることにどう思ってるのかは知る由もありませんが、精一杯手を合わせました。

あとそもそもだけど、赤犬子は実在した人だったんだろうか。
唄・三線の始祖とされて“おもろそうし“にも逸話がたくさんあるけど、おもろには三線は出てこないというし、彼の最後が昇天って言うのもなんとも不思議すぎて。
彼の最後に関しては、ユタでもあり恨みをかってて殺されたって説もあって、ますます謎が深まるばかりです。

かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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