沖縄本島最北端の地

沖縄本島の最北端と言えば、「辺戸岬」
沖縄本島に住んでても、まだ辺戸岬に訪れた事がないっていう人も案外いるこの場所。
僕も辺戸岬行くためだけに片道3時間はちょっとなぁなんて思ってましたが、辺戸岬周辺は見所が結構ありましたので紹介します。

辺戸岬

まずは辺戸岬について。

ここは“沖縄本島“最北端の場所です。
そう、本島“の“です。
沖縄の最北自体は硫黄鳥島という奄美群島の徳之島から西に行った場所にある無人島が沖縄の最北になります。
ここは元々琉球王国時代には硫黄が取れる唯一の島で人も住んでいたんですが、噴火によって硫黄が取れなくなり、島の住民は久米島の鳥島に移住。現在は無人島(米軍の射爆撃場)になってます。
その名残りで今でも硫黄鳥島の住所は久米島町です。

そして有人島での最北は、伊平屋島になります。
伊平屋島も、奄美群島の与論島とほぼ同じ緯度にあります。
沖縄最北端の有人島ですが、行政区分は“島尻“です。
島尻と言えば沖縄本島の南部辺りになるんですが、なぜ最北端の有人島の行政区分が島尻になるのかというと、これも琉球王国時代まで遡ります。
当時国の重要な聖地(斎場御嶽とか久高島)は島尻にあり、それらは王府の直轄でした。
ではこの伊平屋島と、その隣の伊是名島は?
実はここ、琉球王国の王様“尚家“のルーツの場所なんです。
詳しくは省きますが、第一尚氏は伊平屋島、第二尚氏は伊是名島となっています。
なのでここも王府直轄の場所だったので、行政区分は島尻。その名残りで今でも島尻になっています。

沖縄の最北端は“久米島町“で、有人島の最北端は“島尻郡“の伊平屋島。


さ、そんなこんなで、前振りが長くなりましたが、沖縄本島での最北端がここ辺戸岬になります。
晴れた時にはここから、奄美群島の与論島が見えます。

沖縄と奄美群島は戦後、米軍統治下に置かれていましたが、奄美群島は沖縄より先に日本復帰を果たしました。
その時、辺戸岬と与論島の間(海上)に、目には見えない国境線が引かれたといいます。
それが、北緯27度線。

沖縄でも日本復帰を願った活動が盛んになり、当時の国境だった北緯27度線で海上集会も開かれ、ここ辺戸岬と当時の日本最南端の与論島ではお互いのろしをあげて本土復帰を願ったそうです。
この石碑は日本復帰を果たした1972時に建立された「祖国復帰闘争碑」です。


国境27度線

この国境27度線にまつわるお話をもうひとつ。
国境27度線は、奄美群島の与論島の南、そして沖縄本島最北端、辺戸岬の北の海上に位置します。
これを地図で見てみると・・・。

手書きですんません(笑)

大体これぐらいの位置です。

気付きました?
そう、この国境、伊平屋島を分断しているんです。
伊平屋島の北側は、国境より北側。つまり日本側に位置しているんです。

という事は、伊平屋島と、伊平屋島より北側に位置する硫黄鳥島は沖縄本島より先に、奄美群島と一緒に日本復帰を果たしたのか!?

と、思ったんですが、そうではありません。
前述したように、島尻郡に属する(久米島町も島尻)この島の日本復帰は沖縄本島と同じタイミングになります。
なのでしばらくは、国境の向こう(日本)側にいるのに沖縄(米軍統治下)という変な状態だった事になります。
おもしれぇ!

伊平屋島には国境27度線の場所を示す看板があるらしいんですが、一昨年仕事で伊平屋に行った時は全くこの事に興味がなくて知らなかったのが悔やまれる・・・。

茅打バンタ

そして辺戸岬の周辺スポットとして有名なのが、茅打バンタ。

ここからの眺めは最高です。


茅打バンタの由来は、束ねた茅を崖から落とすと、途中でバラバラになって飛び散ることが由来と言われています。
景色が綺麗なのもそうなんですが、ここに来た理由は宜名真漁港が見たかったから。

むかーし、眼下に写る宜名真漁港の北側(写真下)先端の防波堤で釣りをしてた時、沖縄市から来たっていうおじさんが20キロぐらいのアーラミーバイを釣り上げたのを見て腰を抜かしたんです。
アーラミーバイって普通は船で沖に出て釣れる魚なので、その魚が漁港から釣れるんか!って。
あと、朝になると地元のおじさんたちが朝ごはんといって沖縄の県魚、グルクンを釣って帰って行ったのにも驚きました。
グルクンも基本船で沖に出てしか釣れないと思ってたので。
今この防波堤は釣り禁止になってますので、ルールは守りましょうね。
釣り禁止になった理由も、釣り人のゴミのポイ捨てなどが原因なので、釣りの時だけではなく、ゴミのポイ捨てはやめましょう。


ゴミをポイ捨てする人は、茅打バンタから本人をポイ捨てしてバラバラにしちゃうぞ。
満開のツツジを添えて・・・

大石林山と安須森御嶽

他にも辺戸岬の周辺にはまだまだ見所があります。
有名なのは“大石林山“でしょうか。

ここは世界最北端の熱帯カルスト地形が見れる場所です。
石灰岩が2億5千万年という長い時間をかけて、雨水などにより侵食されてできた地形が、この熱帯カルスト地形。
ここではさまざまな特徴を持った熱帯カルスト地形が見ることができます。
ここは口で説明するより、実際に見ると物凄く圧倒されて思わず足が止まるって言ってました。
僕は時間がなくて今回は行けてません。


そして、大石林山のある辺戸岳の岩山の頂上にあるのが“安須森(アスムイ)御嶽“
(大石林山からも一応登れるらしいが、正規のルートではないそうです)

中山世鑑では、ここは琉球の始祖“アマミキヨ“が最初に降りたった場所で、ここから南下して国造りを始めたと言われており、沖縄の最重要御嶽のひとつと言われています。

沖縄の神話では久高島から、そして正史“中山世鑑“では安須森御嶽から始まったとされる琉球の国造り。
他にも神話では古宇利島や瀬長島にもありますが、琉球には昔っから色んな所に人が住んでたんですねきっと。


古宇利島の事も書いてますんでよければどうぞ→古宇利島



コスパ最強の食堂

辺戸岬の帰り道に、たまたま入ったコスパ最強の食堂を発見してしまいました。
沖縄そば、焼肉、刺身、ご飯がついて600円。

・・・やばくないっすか?(笑)
他にも中身汁定食とかもありましたが、それも600円。

これはご飯(多め)と中身汁、生姜に刺身、きんぴらごぼうがついてます。

定食は全体的にコスパが良いなぁって思ったんでけど、その中でも最強は「子供そば」でした。
写真を撮り忘れてしまったんですけど、全然子供サイズじゃなく普通サイズのそばで、三枚肉も2枚も入ってなんと300円(笑)

これでも充分満足しそうな量。(大人が頼んでいいのか分からないですが)
そばはカツオ出汁であっさりとした味で、三枚肉やソーキもさっぱりとした味付けで何杯でもいけそうでした。

店員さんの接客も良かったし。

国頭の道の駅「ゆいゆい」を北向けに少し進ん左側にあります「やまびこ」という食堂です。

かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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