嘉手納の伝説

嘉手納基地が一望できる場所といえば「道の駅かでな」
その周辺を散策してるとありました、嘉手納の伝説、屋良ムルチ。

嘉手納ロータリーを沖縄市方面、県道74号線を進んで行くと、嘉手納基地が一望できるでお馴染み「道の駅かでな」が見えてきます。

道の駅かでなを過ぎてしばらく行くと、左側に突然現れる「屋良ムルチ」

屋良ムルチ

ここは大蛇伝説が残る場所です。

県道沿いにあるんですけど、普通に車で走ってたらうっかり見逃してしまいそうな場所です。

そして入り口には看板があってこう書いてます。

屋良ムルチには、「人に災いをもたらす大蛇が住んでおり、生贄として若い娘が差し出されたが、天の神様が娘を救い、大蛇を退治した」という伝説が残っており、この伝説を元に玉城朝薫が創作した組踊「親孝行の巻」がつくられたと言われている。また、18世紀中ごろ作られた沖縄各地の口碑伝承を集めた「遺老説傳(いろうせつでん)」にも、屋良ムルチに大蛇が住んでいたと記されている。
現在でも字屋良集落では、村の繁栄と豊作を願うムルチ祈願が旧4月14日以内に行われてる。

この看板は首里王府編さんの遺老説傳から引用されてると思われます。

もう少し詳しく伝承を説明すると、この大蛇を退治しようとしたけどユタが「御願だけじゃダメだ。でも若い娘を食べると大蛇は死ぬから、若い娘を生贄したら村は助かる」
という事で、偉い人が看板を立て生贄を募集。
“生贄になったらその家族にはそれ相応のことはしてやる“と。
それを見た、母と弟と暮らす貧しい娘が、「私の命で村と家族が助かるなら」と立候補。
いざ生贄の時、大蛇が現れ娘を食べようとした所、天気が荒れ雷や大風が吹いて大蛇は死んでしまいました。
娘の家族は一生食べるものに困らない褒美と、そして娘も偉い人と結婚して幸せになりましたとさ。

てな感じ。
それを知った上で中に進んでみましょう。

階段を降りると、奥には拝所と比謝川が見えます。

うん。もちろん当時のやつではないんだけど、何だか俺の第6感がゾワゾワ〜っとする感じ(無いけど)
まるでドラゴンクエスト3のヤマタノオロチの生贄の祭壇を感じさせる雰囲気。
分からない人はすいません。
あ、沖縄にもヤマタノオロチに似たような話が津堅島にあります。
こちらは7つの首を持つ大蛇にお酒を飲ませて退治するってお話で、ヤマタノオロチとかなり似た話です。
今でもマータンコーという伝統行事として残ってるはずなので、気になる人は“津堅島のマータンコー“で検索してみてください。
津堅島に足を運べた時に僕は記事にします。

※間違ってマータン「ゴ」ーって、濁点が入るだけでマンゴーの情報ばっかり出てきます

川というよりは一見すると“池“のような感じ。

蛇が出ませんようにって手を合わせ、歴史を感じつつ屋良ムルチを後に。


オマケ情報

オマケ情報?として、ここから出て県道沿いに戻ると、目の前は嘉手納基地なんですけど、斜向かいぐらいに飛行機の誘導灯がある場所があります。

ここ、モンゴル800が「安里屋ユンタク」のMVを撮影した場所です。
あの歌詞をここで撮影する感じ、僕はすごく好きなんですけど、もう10年以上前の話なんですね。

かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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