勝連城跡

琉球王国のグスク及び関連遺産群のひとつとして、2000年12月2日に世界遺産登録された“勝連城跡“

ここは、勝連地方を治めた有力按司“阿麻和利(あまわり)“の居城として有名です。

勝連城

勝連城の城主、阿麻和利といえば“肝高(キムタカ)の阿麻和利“として、地元勝連の民に慕われた按司でした。
そして阿麻和利と言えば、“護佐丸・阿麻和利の乱“が有名です。

護佐丸・阿麻和利の乱


大和などと貿易をして力をつけてきた阿麻和利は、虎視眈々と首里を滅ぼそうと狙っていました。
一方首里では王の交代や“志櫓・布里の乱“で首里城正殿が全焼した事もあり首里王府の情勢は不安定になります。
そこで、6代目の王、尚泰久は即位後に自分の娘であり護佐丸の孫にあたる「百十踏揚(ももとふみあがり)」を阿麻和利に嫁がせます。

ここから物語が動きます。

阿麻和利は首里を攻める為に邪魔な護佐丸を滅ぼす為、尚泰久に「護佐丸が謀反を企んでる」と進言します。

確かに護佐丸は、武具を揃えて兵を鍛えいつでも戦ができるよう準備をしていました。しかしそれは、勢力を強めてきた阿麻和利から首里を守る為の軍備だったのです。
不運な事に、その様子を「謀反の準備」と疑われ、尚泰久は阿麻和利に“護佐丸討伐“の命を下します。

阿麻和利率いる王府軍が中城グスクに攻め入る中、軍の中に王府の旗を確認した護佐丸は「王には逆らう事はできない」と、王への忠誠を示す為に応戦する事なく妻子とともに自害します。

護佐丸を討った阿麻和利は、その後、尚泰久王も滅ぼそうと企てますが、阿麻和利の妃でもあり、尚泰久王の娘でもあり、さらには護佐丸の孫でもある百十踏揚とその家臣、大城賢勇に見破られた為に王府によって討たれてしまいます。

護佐丸・阿麻和利の乱の真相は・・・

この護佐丸・阿麻和利の乱は、王府の歴史書によって書き残されたと言います。

しかし、阿麻和利は勝連城で討たれたといわれていますが、一方で城から逃げ出し生まれ故郷の屋良村(現読谷村)まで逃げ、そこで討たれたとも伝わります。

お墓もあります。


そして、護佐丸・阿麻和利の乱で当時の3大勢力(首里・中城・勝連)のうち2つが滅亡する事になり、王府を脅かす脅威が一気になくなることになります。

一説では、この乱は全て尚泰久(王府)が裏で糸を引いてたのではないかとも言われています。


歴史は勝者の歴史ですからね。

いずれにせよ、この事件は琉球王国最大の謎とまで言われています。

百十踏揚(ももとふみあがり)

尚泰久の娘で、阿麻和利の妻でもあり、護佐丸の孫にあたる百十踏揚もまた、歴史に翻弄された女性のひとりと言われています。

いわば政略結婚で勝連城の阿麻和利に嫁ぎ、護佐丸・阿麻和利の乱で夫(阿麻和利)が祖父(護佐丸)を討ち、その後は父親(尚泰久)に夫(阿麻和利)が討たれるという中々壮絶な経験をします。
実はそれだけではなく、護佐丸・阿麻和利の乱のあと、家臣の大城賢雄と結婚します。

しかし、首里王府でクーデターが起こり、第二尚氏王統がたち上がります。
そこで、第一尚氏王統に忠義を尽くしていた大城賢雄は処刑されてしまいます。
つまり、2人目の夫も亡くしてしまいます。

その後、百十踏揚は兄弟を頼り南城市の玉城で暮らし、若くして生涯を閉じます。

現在は、弟でもある三津葉多武喜(みつばたぶき)とともに南城市に葬られています。


ここは、尚泰久の長男である“安次富加那巴志(あしとみがなはし)“や、次男の“三津葉多武喜(みつばたぶき)“、四男の“八幡加那志(はちまんがなはし)“が仮住居として住んだとされる南城市玉城の主留前殿内(するめーどぅんち)。

少し話は逸れますが、ここ僕のおばーの家の真裏なんです。

おばーに聞いたら、「ここの山には誰のかはわからないけどお墓もたくさんあるから」って、よく線香をあげに山の中に入っていくんです。

んで少し前にユタを呼んで御願してたら、ユタに「花笠をかぶったキレイな人がいるよ」って言われたらしく、何だろうねぇって話してました。

その時はあまり興味がなかったから聞き流してしまったけど、もったいない事した(笑)
何だったのか今度詳しく聞いてみよっと。

おわり

さて、勝連城の話からだいぶいろんな所に話はいきましたが。

今回僕が書いた護佐丸・阿麻和利の乱は結構まとめたので、詳しく知りたい方は改めて調べてみてくださいね。
謎は多いが有名な事件なのですぐ調べられると思います。

阿麻和利が逆賊的に伝えられる話も多いですが、地元の民に絶大な支持を受けた阿麻和利。
その人気は今でも根強く地元の人を中心にファンの多い人物です。
僕も好きな人物のひとりです。

勝連城から見下ろす景色は首里城より美しいと言われる事も。

勝連城跡、おすすめです











かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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