沖縄のお墓って本土のお墓と比べると大きいんですよ。
僕は昔から当たり前の様に見てきたんでそれが普通だと思ってたんですけど、初めて見る人は「何あれ!?でかっ!」って思うかもしれません。
でも僕もテレビか何かで初めて本土のお墓を見た時は「何これ!?ちっさ!」って思ったんでお互い様ですね(笑)
第二次世界大戦の時、沖縄を上空から偵察した米軍が沖縄のお墓を見て“日本軍が作った要塞“と勘違いしたって話もあるぐらいですから。
まぁ実際石造で大きくて頑丈なので、沖縄戦の時には非戦闘員が隠れる避難壕としても使われていたという記録があります。
と、言うことで、今回はそんな沖縄のお墓についての紹介です!!
そもそも沖縄のお墓って?
沖縄のお墓を見た事あるって言う人は、何となくどんな形かイメージができるかと思いますが、現在沖縄で見る事ができる沖縄のお墓のタイプは主に2パターンあります。
亀甲墓
まず先程の写真の様な、亀の甲羅の様な形をしたお墓を“亀甲墓“(かめこう墓、もしくはきっこう墓)といいます。
17世紀頃に伝わってきたとされますが、亀甲墓は女性の胎内を表していて、人は亡くなると母体に還るという“胎内回帰“の考えからこの形になっています。
これは、中国文化の影響を受けていると言われています。
破風墓(はふ墓)
続いて破風墓。
破風墓は16世紀頃から造られていると言われています。
このタイプで有名なものは、世界遺産でもあり国宝の玉陵が破風墓の建築様式になります。
玉陵は岩盤を背にした掘り込み墓に破風型の屋根を築いて造られています。
因みに、破風墓の破風って言うのは家とかの建築でも見られる三角の屋根の部分の事です。
どちらのお墓も中国大陸からの風水思想の影響で、“お墓は永遠の住処“と考えられていることから、大きくて立派なお墓が多いです。
沖縄のお墓の変遷
今でも見る事ができる沖縄のお墓の型が、こうしてみると案外最近?からって事がわかりますね。
じゃあ亀甲、破風墓の前はどうだったのかというと、元々は洞穴や岩陰を利用して造られた崖葬墓(がいそうぼ)と、地下に造られた埋葬墓に分けられます。
そこから12世紀以降は次第に崖葬墓が主流になっていきます。
崖葬墓でも自然洞穴を利用した「洞穴墓」や岩盤を加工して造られた掘抜墓(フィンチャー)が古いとされています。
そのあと、破風墓や亀甲墓へと発展していきます。
なので
崖葬墓(洞穴墓、掘抜墓)&埋葬墓→破風墓→亀甲墓
という変遷ですかね。
まぁ大別しただけなんで、崖葬墓でも入り口に扉がついたり、破風墓でも平地型破風墓になったりと変化はありますが、ざっくりとはこんな感じかと・・・。
おわり
現在沖縄でよく見かける“お墓“は、昔からこの型だったわけではなくて、沖縄の歴史からみるとそこまで古くないって事がわかりましたね。
まぁ500年以上前は充分古いか(笑)
ただ、今でも沖縄では元来のお墓(崖葬墓)が残ってる場所がありますし、場所によっては“聖域“や“御嶽“として現在も信仰の対象になっているところもあります。
もし、訪れる際は先人達への尊敬の念を忘れずにですよ〜!