だいぶ前になりますが、バスガイド研修で琉球村に行った時のことです。
琉球村スタッフの方が何気なく、「この辺り(琉球村)は昔、山賊が出たんです」って言ったのがずっと気になってたので、恩納村の山賊にまつわる話を調べてみました。
すると、確かに沖縄では山賊が出たという場所があって、僕が知らないだけで割と有名な話でした(笑)
今回はそんなお話です。
山賊(フェーレー)が出たという場所
琉球村の近くにある多幸山。ここは国頭方面に行く宿道で最も難所と言われる場所だったそうです。
その中でも、この岩のところは沢山の木々が生い茂り、昼間でも薄暗いことからフェーレー(山賊)が度々出没する場所として有名だったそうです。
女性が頭の上に荷物を乗せて移動していると、この岩の上から荷物を吊り上げて金品を奪うといった伝説があり、その事を詠んだ歌碑も残っています。
多幸山やフェーレーでんどう 喜名番所に泊まらなやー
女子たるもの泊ゆみ急ぢすじ行き 島かから
案内板より
「多幸山はフェーレーが出るそうだ。喜名の番所に泊まろうか。いやいや女子の身で知らないところに泊まれるもではない。いまならまだ大丈夫いそいで自分の村までいったほうがよかろう」
といった意味の歌碑です。
そこが、現在ではフェーレー岩として残っています。
右が看板のある岩。
確かに木々が生い茂って今でもフェーレーが出そうといえば出そうな雰囲気。
でも今フェーレーがいても、人通りが少なくて商売上がったりだろうな(笑)
山賊(フェーレー)はどうなったのか?
さて、そんな有名なフェーレーだとその後がどうなったのかも気になるところです。
フェーレー岩について調べてもその辺の事があまり書かれていません。
すると、意外なところでフェーレーのその後を発見しました。
僕が沖縄の空手について調べてると、泊手の達人“松茂良興作“という人物がフェーレー岩の山賊を退治したという逸話が残ってました。
逸話ではこうです。
琉球中部と北部の村で、山賊が出没し旅人を脅し金品を巻き上げていた。ある岩の近くで、興作は鎌で襲いかかる山賊を取り押さえ役人に引き渡した。実際にこの岩は山賊岩(フェーレー岩)として残されている。(フェーレーは中国語)
沖縄空手七人の侍より
捕まってる!
なるほど。フェーレーは女子が頭に乗せてる荷物を吊り上げて奪うだけじゃなく、そこを通る人を鎌で脅しながら奪うこともしてたのか。
それは穏やかじゃない。
一説ではこの“多幸山“の名前の由来が、タコの様に身包みを剥がされるから“たこう山“と呼ばれる様になったという説があって、フェーレーが金品を奪う際に命まで奪ったっていう記述はどこを探してもありません。(僕が探せなかっただけなのか)
あえて記録を残してないのか、もしくは実際に命までは奪わなかったのか本当のところは謎ですが、もし命まで奪うフェーレーではなかったとしたら、そこまで悪いフェーレーじゃなかったのかも知れないですね。
・・・いや、人のものを盗む時点で悪いか。危ない危ない。危うく感応度逓減性の罠にはまるとこだった。
しかしあれだな、僕らの世代で言うと、行くと必ずカツアゲされた国際通りみたいだな。
国際通りに現れるフェーレーも帰りのバス賃は残してくれて、お金取られたのに何故か「ありがとうございました」って帰ってたもんな。
元は俺のお金だ!って話だよ。
山賊岩(フェーレー岩)の近くで
フェーレー岩の近くでこんな看板を見つけました。
このフェーレー岩がある通りは“国頭方西海道“という琉球王府と各所をつなぐ道で、現在は歴史の道として状態の良い場所を恩納村が保存したということです。
探してみるとこういう道は県内各地に残ってるので、そこを散策するのも楽しそう。
ただこのフェーレー岩、場所が分かりにくくてたどり着くのが難しかった。
あと僕が岩を見てる時に犬の散歩をしてるおねーさんが通って、一瞬ビクってしてたんだけど、僕をフェーレーと間違ったのかな?
皆さんもフェーレー岩に行く際はフェーレーと間違われない様に気をつけてください。