沖縄には“御嶽“と呼ばれる場所が数多く存在します。離島も含めると900以上の御嶽があると言われています。有名なのは、世界遺産にも登録されてる「斎場御嶽」や首里城公園の敷地内にある「園比屋武御嶽石門」も御嶽のひとつです。
じゃあそもそも御嶽って何だ?って所ですよね。
簡単に説明すると、“神様がいる、神様がおりてくると信じられていた場所“だったり、“神様に祈りを通す場所“です。
要するに、聖地ですね。
今風に言うとパワースポットなんて言ったりもしますが。
ではそんな聖地、御嶽についてもう少し詳しく紹介していきましょう。
御嶽とは
まず御嶽の紹介をする前に、簡単に沖縄の宗教観について説明すると、沖縄は『先祖崇拝』です。
細かく言うと※アニミズム的信仰やオナリ神信仰、火の神信仰、ニライカナイ信仰がチャンプルーされた“沖縄独特の信仰“だけど、軸は先祖崇拝かと。
※自然のあらゆるものには精霊が宿るという信仰で、宗教の原始的な考え方のひとつと言われています。
沖縄が琉球王国と呼ばれる前、元々は小さな集団が共同で生活してる村(村と言っても今よりもだいぶ小さい集団)が点在するというような島でした。
そして、その村には必ずと言っていいほど、“御嶽“が存在したと言います。
なんなら御嶽を中心に集団が発展していった形跡が見られると。
因みにこの時代の御嶽と呼ばれていた場所は、小高い丘の様な場所で、発掘調査をすると必ずと言っていいほど、人骨や古いお墓の跡が見つかったそうです。
さらに、人は亡くなると神様となって自分たち集団を護ってくれる存在になると考えられていたということもあり、亡くなった人が葬られている場所。つまり御嶽を大切に拝んでいたということです。
ここで言う亡くなった人というのは、自分達より先に亡くなった人。つまり、自分たちの祖先という事になります。
これが、沖縄が“先祖崇拝“と言われる所以です。
色んな御嶽
沖縄では自分たちの御嶽を中心に発展していった集団が、他の集団と合体してどんどん大きくなっていき、次第に“按司“と呼ばれる集団のリーダーのような存在が現れて、按司同士で争ったりして領土を拡大していき、主に三つの勢力に分かれます。これが三山時代。その三つもひとつに統一されて、琉球王国時代に突入していくって感じになります。
集団が合体していく中で、元々小さな集団の御嶽だった場所は、合体した後も大切に拝まれたり、また新しく御嶽ができたりとしていった結果、沖縄には色んな御嶽が存在するに至ったという事ですね。
世界遺産の御嶽
では、数多くある御嶽の中で、なぜ“斎場御嶽“と“園比屋武御嶽石門“だけが世界遺産なのか?
これは、“琉球王国のグスク及び関連遺産群“という世界遺産だからです。
琉球王国時代は政教一致という“政治“と“宗教“が一体化した統治体制で、国家行事として祈願などが行われていました。
斎場御嶽と園比屋武御嶽石門は、その政教一致の統治体制だった琉球王国において、特に関連していたと言われている御嶽なので、琉球王国時代の文化を象徴するということで、世界遺産に含まれているって訳です。
おわりに
沖縄で“御嶽“といっても、先祖が眠る場所だったり、井戸や湧き水、安全祈願をする場所や神様が降臨したと伝わる場所など色んな御嶽があります。
よくアイドルがCM撮影で使った場所とかを、ファンが“聖地巡り“として回ったりするのも、ファンの間でずっと続けていたら、100年後には本当に御嶽として大切にされる場所になってるかもしれませんね(笑)
御嶽だからパワースポット〜ってひとくくりにしてると、知らず知らずのうちに先人が眠るお墓のような場所に足を踏み入れてるって事もあるかもしれないので、その御嶽の性質や、その御嶽がどういう御嶽なのかを少しだけでも知ると、また違った感覚を味わえるかもしれませんね。