ユタ

皆さんは“ユタ“という存在を知ってますか?
本土風に言うと占い師兼霊能者が1番近い言葉・・かな。聞いといて申し訳ない(笑)
そう、ユタという存在自体は知ってるんです!
沖縄では昔から家を建てる時やお墓を建てる時などユタにアドバイスを貰って吉日を選んだり、今でも人が亡くなるとユタの所に行って故人が言い残した事が無いかユタを通して聞きに行くなど、割と身近な存在なんで、ユタという存在は知ってるんです!
ただ、ユタが何なのかって言われると、きちんと説明できません。なので、僕なりに調べてみました。


ユタの歴史を辿る

まず歴史を辿ると、この霊能者のような人が琉球の歴史には度々登場します。
それが“ノロ“だったり“根神(にーがん)“と呼ばれる神女だったり。
ただ同じような事をしていたがこの時はまだはっきりとユタと区別はされていません。
それが、尚真王の時代(1499年〜1526年)に、神女がひとつの組織としてまとめられて制度化されます。その組織のトップが“聞得大君(きこえおおきみ)“という最高女神官。
聞得大君は国王を守護する姉妹神(オナリ神)として、王様の姉妹や母など近しい人がなり、国王の長寿や国の繁栄を祈ったとされます。
そしてもちろんこの祈りの際には組織化された神女たちも一緒です。
それが、“ノロ“と呼ばれるようになります。
なのでノロは、国に雇われた国家公務員ってところでしょうか。
そこからノロはもっぱら神事を担うことになり、個人的な死者の供養や埋葬といった死の穢れを忌み嫌いそこからは身を引いていきます。
あと面白いのが、ノロは身分が保証され(もちろん給料も)、その身分は能力の有無に関わらず世襲(代々受け継がれる)されたらしい。
なので、ノロになるにはそれほど霊能力は重要じゃなかったって事になります。

なるほど、昔琉球の歴史に詳しい先輩が「国家的神事を行なっていた場所がパワースポットとして人気があるけど、果たして本当にパワーがあるのか!?」みたいな話をしていたのを思い出したけど、きっとこういう事だったのかな?
あの時はなぁんとも思わなかったけど(笑)

でも確かに、ラジオの企画でそのパワースポット行った後にスクラッチクジやったけど擦りもしなかったし、一緒に行ったラジオリスナーから今はメールさえ来なくなってるな・・(笑)

あ、もちろんその場所は神聖な場所と言われていますので名前も出さないですし、僕が紹介する時は“スーパーパワースポット“として紹介しますんで悪しからず(笑)

えっと・・まだユタは出てきません(笑)

ユタの登場

お待たせしました!
ここからやっとでユタの登場です。

先ほどノロが神事を担って死者の穢れを忌み嫌いそこから離れて行ったって話をしましたが、逆にユタは、死者の供養だったり埋葬などに積極的に関わっていくことになります。さらに個人的な求めに応じて呪術(まじない)も行うようになります。そうしたことが、もって生まれた霊能力にさらに磨きをかけることになり、カミや祖先の住む“世界“の専門家としての地位を手に入れることになります。

なので、“ノロ“も“ユタ“も、元をただせば源はひとつで、尚真王の時代に神女が組織化されたことによって、2つの系列に袂を分かつ事になったっていう事かな。


ユタになる人

まずはっきり言うと、ユタはなりたくてなれるものではないです。
と言うのは、霊能力がないとユタにはなれないですから。
沖縄ではカミに近づきその声を聞いたり感じたりする力の事を“セジ(シジとも言う)“と言います。
このセジは一般的には「霊力」と解釈されますが、もう少し広い意味で考えると「霊感」とも言えると思います。
“ピンとくる感じ“とか、“なんだか嫌な感じがする“みたいなのも一種の霊感なんじゃないかなと個人的には思います。
これは誰でも持ってる力だと思いますが、その力が強いか弱いかの違いだけなのかなと。
その力の強い人が、「サーダカンマリ」とか「サーダカー」と言われて、霊的なものが見えたり普通の人が経験しないような不思議な体験をして、その不思議な体験がきっかけで「カミダーリ」の状態になってユタになると言われています。
このカミダーリというのは、サーダカンマリの人が精神的に不安定の状態の時に、カミの霊が乗りうつり、はたから見ると気が狂ったような行動をとる事を言います。
なので知らない人から見ると、カミダーリなのか頭がおかしくなったのかの判断が難しいらしいです。
皆さんの周りでも、思い返したらいないですか?急に狂ったような言動が目立つ様になった人。
もしかしたら、カミダーリだったのかも。

因みに、沖縄には「ユタの修行場」と呼ばれる場所があるんですけど、もしかするとそこでカミダーリをするのかも知れないですね。
そのユタの修行場と呼ばれる場所はどこもかしこも怖い噂がありますし、霊感の無い僕でも“あ、ここ嫌だな“って感じがしたし実際怖い思いもしたんで、それ以来遊び半分でああいう所にいくもんじゃ無いなって反省しました。

とにかく、ユタに否定的な人も肯定的な人も、ユタを理解する上ではこの「サーダカンマリ」と「カミダーリ」というキーワードは大事なんじゃないでしょうか。

ユタの現在

今でも沖縄にはユタと呼ばれる人はいます。

でも大々的に看板を出して告知をしてる人はほとんどいないんじゃないでしょうか?
そう、ユタは口コミ的に広がっていくんですよ。
本人も自分で“私ユタです!“ってあまり言わない。
でもそれは歴史的に長い間ユタが“社会を混乱させる厄介者“として扱われてきた過去があるからかも知れません。

今は「医者半分ユタ半分」って言葉があって、沖縄では医者が治せないのはユタが治すよ。といった、どちらかと言えば、信心深いというか良い意味で使われることが多いですけど、昔はユタに行く人を「ユタコーヤー」と言って、「男の女郎買いと女のユタコーヤーは治らない」みたいに批判されてました。

  • 1673年 尚象賢の「羽地仕置」でユタ・トキを禁じる
  • 1712年 首里赤田村のユタ、夫と共に斬罪
  • 1732年 蔡温「教条」でトキ・ユタ禁止
  • 1884年 ユタの医療行為禁止
  • 1898年 琉球新報でユタの批判開始
  • 1912年 那覇署のユタ征伐
  • 1938年 特高警察のユタ狩り

と、こんな感じで、ユタは人々の心を惑わし社会の混乱を引き起こすということで度々禁圧を受けてきました。
でも実際ユタを騙り人の弱みに付け込んでお金を騙しとる人もいたらしく、そういう人たちのせいも多分にあるとは思いますが。

今でもユタに行くって言うと眉をひそめたり、全否定してくる人がいますが、まぁこういう流れも多少はあるのか、もしくは人って知らないモノに対して不快感を示す傾向があるからそれなのか。
まぁその辺は本土の霊能力者も似たような感じなのかなぁ。

そう言えば、事務所の先輩に“ユタ“のキャラクターコントをやってる先輩がいて、その先輩が出演する時放送上あまり相応しくないから“ユタ“って表現はやめてくださいって言われてた気がする。

自主規制ってなんだろう。

まとめ

まぁユタを信じるも信じないも個人の自由なんですが、ユタの仕事は霊的なものだけではなく、仏壇事の相談だったり、家族の相談事にも乗ってくれます。

言ったら万能の心理カウンセラーです。

僕もおばぁがよくユタを呼んだり、家に行ったりしますが、値段もそんなに高くなかったです。

それでおばぁの心配事が軽くなるんならいいかなぁなんて思ったり。

あと沖縄はとにかく仏壇事が多い。そしてその仏壇事のやり方が年々分からなくなってきてる(これは僕ら世代が興味と責任を持たないせい)から、その仏壇事を習うって意味ではユタコーヤーになってもいいのかもね。

かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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