さて、今日は首里城火災から1年が経ちました。
なんだかあっという間の様な長かったような感じです。
一応僕の思いも書いておきます。
僕は当時、芸人ガイドというものに携わっていなかったので、実はあまり首里城についても関わっていませんでした。人生で1回しか行った事なかったし歴史もあまり知らなかったし。
「沖縄のシンボル」「戦後復興の象徴」沖縄の人にとって大事なものであるはずの首里城が、当時の僕にとっては「シンボル」でも「戦後復興の象徴」でもありませんでした。
もちろん、だからと言って大切じゃないわけではなく、迷惑ユーチューバーに落書きをされれば嫌な気持ちになりますし、火災で焼失したときはそれなりにショックでした。でも「それなりに」だったんです。
実は首里城が燃えてるとき、僕はたまたま近くにいました。深夜2時過ぎ、その日は不気味なほどに静かな夜で国道58号線も車がほとんど通ってない状態でした。そんな中、消防車のサイレンが鳴り響いて坂下通りを上っていきました。近くに友達が住んでいたので、「お前のとこは大丈夫かー?」なんて連絡して。でもその時はまだ首里城が燃えているとは知りません。それから3時過ぎ、家に帰ろうと坂下通りを車で走ってたら、何かが燃える臭いがして「車のエンジンが焼き付け起こしてるなぁ。どうしよう」と思って、パッと目の前を見たら燃える臭いの元が首里城だと気づきました。それを見て、「車(焼き付け)じゃなくて良かった!」が、僕が真っ先に出てきた感情だったんです。そして余談ですが、その話をスタンダップコメディとして舞台でもやりました。そんなネタができるぐらい、僕には「それなりに」だったんです。(もちろん、その時ネタは全く受けなかったです笑)
自分の中で不謹慎とも言えるこの感覚、これは僕が首里城や歴史について無知だったからだと思ってたんですが、最近この芸人ガイドで沖縄の歴史だったり、文化や風習を学んで知識を入れていくうちに思ったのが、無知だからというより僕が沖縄本島中部の人間だからなのかもしれないと思うようになりました。
語弊が無いように言うと、首里城が大切じゃないわけじゃなく、首里城より大切に思うものがあるってことです。
なのでいつの日か、首里城があの姿を取り戻したとき、また観光ができるようになったときに僕が首里城を案内する日がくるとするならば!
首里城の歴史とともに、尚氏6代の王に仕え琉球王国建国の功臣でありながらも、晩年は謀反を疑われつつ自害し忠節を全うした「護佐丸」の話や「阿麻和利」の話も織り交ぜながらガイドをするかもしれませんね、僕は中部の人間だから(笑)
こんなガイドがいてもいいさぁね~!