沖縄本島南部、豊見城に架かる真玉橋は、県内でも知名度の高さは抜群。
なんですが、中・北部の人は“真玉橋“って名前は分かるけど、案外どこが“真玉橋“なのか知らない人もチラホラいます。(僕の周りだけなのか)
なので、知ってる人にも知らない人にも改めて、“真玉橋“を紹介です。
真玉橋の歴史
真玉橋は、明治橋交差点から国道329号線を東へ約2.5キロほど行った真玉橋交差点を左折した所に架かる橋の名前です。
那覇市古波蔵(写真左側)と、豊見城市方面(写真右側)を結ぶ県道11号線にあって、橋の下を流れるのは国場川です。
真玉橋が有名なのは、歴史があるからじゃないでしょうか。
真珠湊(まだまみなと)碑文によると
1522年、尚真王は首里城南東にある石門を起点とし、識名を経て、現在の国場川河口にあたる真珠湊(まだまみなと)に真玉橋を架け、石火矢橋(いしびやばし)から豊見城グスクの麓を通って、那覇港南岸の垣花(かちぬはな)に達する軍事道としての真珠道を整備した。
と、あります。
元々真珠湊には橋が架かっておらず、川を渡る時は渡し舟を使用していたそうです。
しかし、強風や大雨の時は舟が出ず渡る事が出来なかったと。
そこで、尚真王の時代、豊見城間切保栄茂村(とみぐすくまぎりびんむら)出身で、首里金城村に住んでいた者が、橋を架けるよう王に奏上したといいます。
その者は真珠湊の流れを熟知しており、王は三司官を通して彼を奉行に任命し、木橋をつくらせ往来できる様になったといいます。
そう、真玉橋は琉球王国時代に架けられた歴史のある橋なんです。
真玉橋の伝説
真玉橋は伝説や伝承にも度々名前が出てきます。
有名なもので言うと、“人柱伝説“ではないでしょうか。
これは「七色ムーティー(元結)」という豊見城に伝わる話です。
架けられた当初の真玉橋は木造で、大雨の度に洪水で流されていたそうです。
そんな事もあり、1707年、尚貞王の時代に丈夫な石橋に造り替える事になりました。
しかし、大勢の人を動員しているにもかかわらず、工事の最中も大雨が降ると橋脚が流されてしまい、思うように工事が進まなく役人たちは困り果てました。
そんな時、ひとりの神女が現れ、「この橋を完成させるには、子(ね)年生まれで七色のムーティー(元結)をした女を人柱として立てよ」という神のお告げがあったと言います。
人柱に驚いた役人ですが、橋を完成させる為に子年生まれで七色のムーティーをした女を探します。
しかし、いくら探しても見つかりません。
そんなある日、あの神女も子年生まれである事が役人の耳に入ります。
そこで役人達は神女の家を訪ねます。
すると、神女のムーティーが七色に輝いているではありませんか。
突然役人が訪れた事に驚いた神女は「これは誰かが私を落とし入れる為の仕業です」と訴えるも、役人は聞く耳を持たず、神女を人柱にします。
神女は、自分が口にした神のお告げ通り、人柱として生き埋めにされる事になります。
大勢の人が生き埋めにされる様子を見守る中、ひとり嘆き悲しむ神女の娘に向かって神女は叫びます。「娘よ、どんな事があっても人より先に口をきいてはいけない!」
母の最後の訴えを聞いた娘は、それ以来口を聞かなくなったといいます。
それ以来、村人達は「物ゆみ者や 馬ぬ さちとゆん(お喋り者は、馬の先を歩いて災いを招く)」と、お互いに戒めあったといいます。
七色ムーティーの言い伝えは、本土にある“長良川の人柱“という芝居を元に平良良勝が「真玉橋由来記」として書き直し、昭和10年頃に上演されたのが始まりとも言われています。
大変だった真玉橋
真玉橋に残る人柱伝説が真実か伝説か創作かはさておき、そんな伝説が残されるぐらい、真玉橋はよく流される橋だった様です。
その原因として、橋がかけられた事により橋の両岸で田を耕す者が現れた事で、両端の橋が土で塞がり洪水が起こるようになったと言われています。
その対策として当時の王様(尚貞王)は真玉橋の岸辺で田をつくる事を禁じるとともに、旧堤を補修し石橋を架けさせたといいます。
なので人柱は伝説は、この時の話という事になりますね。
真実かは別として。
今も残る、昔の真玉橋
現在の真玉橋のすぐ側には、昔の真玉橋(真玉橋遺構)もあります。
1995年、橋の架け替え工事の発掘調査によって、沖縄戦前の石橋の一部が見つかり、翌年の発掘調査で橋の付け根にあたる部分が豊見城市と那覇市の両方で発掘され、アーチ部分や石畳も出土。
真玉橋遺構は現在の場所に移築され、2006年には豊見城市有形文化財(建造物)に指定されました。
元々真玉橋は、この写真の様なもの五つからなる橋で、その真ん中の部分を“真玉橋“と呼んでいたそうです。
おわり
ここが真玉橋って事が分かりましたね。
ついでに真玉橋の歴史と伝説まで知ることが出来ました。
沖縄戦では日本軍によって橋の一部が破壊されましたが、米軍によって鉄橋が架けられた歴史もあります。
なので、木橋に始まり石橋、石橋から鉄橋を経てコンクリートの橋へと世の中の移り変わりと共に形を変えた真玉橋。
そこにずっと架かってる事によって歴史と伝説が残る事で、場所は知らずとも有名な橋になっていったって事なんですかねぇ。
泊大橋や古宇利大橋の様に華のある橋とは言えないかもしれないけど、歴史を知ると、随分華のある橋に見えました。