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運玉義留(ウンタマギルー)

その昔、西原と与那原の境目辺りにある運玉森にはギルーという盗賊が住んでいたと言われています。いや、正確には居たと信じられています。
運玉義留がもし実在の人物なら、「丑年の大飢饉」の頃(1709年)の人物じゃないかと。
というのも、この大飢饉でこれまで泥棒が居なかった琉球でも食べ物を求めて強盗を働く人間が現れたという口碑があります。
他にも運玉義留についてはたくさんの伝説が残ってて、いつも拍手喝采を浴びる英雄でした。
そんな運玉義留の伝説はこうです。

運玉義留(ウンタマギルー)の伝説

昔、運玉森には盗賊が住んでいました。その盗賊は、人々から「ウンタマギルー」と呼ばれていました。
ウンタマギルーは王家やお金持ちだけを狙い、盗んだものは貧しい百姓たちに分け与え、犯行前には日時を予告するなど大胆不敵な盗賊で、殺しは絶対にやらなかったそうです。
しかし、ウンタマギルーも初めから盗賊だったわけではありません。
元々は幸地御内(ウドゥン)というお金持ちの使用人でした。
ある日ウンタマギルーは主人に「私のような百姓でも、侍や王の側に仕えることの出来る偉い身分になれますか?」と尋ねたそうな。
すると主人は「カエルの子はカエルだ。百姓は百姓のままだよ」と答えたそうです。
その答えを聞いたウンタマギルーは“このままではダメだ“と主人の家を飛び出したそうです。

それから、盗賊になったウンタマギルー。
義賊として百姓達からは慕われていましたが、王府は威厳に関わると追求の手を張り巡らせました。

しかし、それを嘲笑うかのようにウンタマギルーは支配階級の象徴でもある首里城大奥にある“王の金枕を頂きに参上する“との不敵な投げ文をしました。
いよいよ約束の夜、物々しい警備の中ウンタマギルーはあっという間に目的を成し遂げました。
騒然とするお城を後にしウンタマギルーは運玉森に身を隠しました。
百姓たちは追っ手の役人に嘘の情報を教えつつ、ウンタマギルーには食料を運んで助けました。
しかし面子を潰された王府も必死で、ついには隠れ家が見つかってしまいました。
逃げ出したものの追い詰められたウンタマギルーは、沼の中に身を隠し竹筒で呼吸をしながら追っ手をやり過ごそうとしました。
しかし、追っ手もしらみ潰しに探しているうち、とうとう沼の不審な竹筒に気付き、その下を何度も槍で貫きました。
けれどもウンタマギルーは血糊を泥で誤魔化し、とうとう追っ手は諦めて帰ってしまいました。
深い傷を負ったウンタマギルーは、そのまま息を引き取り沼から浮かび上がってきました。
遺体は百姓達の手によって葬られ、最後まで役人には気づかれませんでした。



運玉義留には色んな伝説があって、西原の小那覇に伝わる話では、最後の沼は「龍潭池」だったとも言われてます。
しかし、実際のところ運玉義留は創作上の人物で、反体制の英雄出現を願望する民衆がいつしか実在の人物のように語り継いだというのが真実だろうと言われています。

運玉義留は実在した!?

創作上の人物だろうとはっきり言われるとロマンがないなぁなんて思いつつ、同じ西原にある「内間御殿」に足を運びました。
「内間御殿」は第二尚氏の始祖、尚円王が王位につく前に住んでいたとされる場所です。
そしたらそこで気になるものを見つけました。

看板がデカデカと設置されてるんですけど、左下の年表に注目してください。
うりアップしたやつも。

1735年、旧宅に賊入り、宝枕の盗難にあう。って書いてるんですよ。
これってもしかして・・・運玉義留??
大飢饉があったのも1709年だから、時代的には被ってる・・・。
でも運玉義留は首里城に忍びこんだって話だったけどまぁ。なんて思いつついくつか資料を見てたら、使用人の主人の家に忍び込んだって話もあった!(笑)
ただ使用人は「幸地御殿」でここは「内間御殿」だから場所が違う・・。

じゃあ盗んだ賊は別の人物??
んー。もやもやしたから、その足で運玉森に実際行ってみることにしました。

実際にある運玉森

多分あの森が運玉森・・・のはず。
どんなっていくか迷いながらも何とか入り口を発見。

本格的に入っていく場所を発見。
思ったより急斜面、そして、別に寒くもないのにこの入り口らへんにいる時はずっと鳥肌立ってた(笑)
別に霊感があるわけじゃないけど、なんだろ。なんて思いつつ、ゴー!!

いかにも運玉義留が飛び出してきそうな雰囲気・・というかハブが飛び出してきそう。

もう少し・・・

とうちゃーく!!

イスぼっろ!!笑
ほぼ枠!!

・・・坂道登って疲れたから座ったけど。。

運玉森というか運玉丘みたい。

でも頂上から景色は気持ちいい。
ここが与那原、西原、知念方面で、反対側が・・・

首里方面。
首里城見えるかなぁと思ったけど見えなかった。
そして急いで降りる。

奥に見えるのが入り口の階段になってるところ。
息はぁはぁしながら少し汗ばんで戻ってくると、また入り口のところで謎の鳥肌(笑)

とりあえず運玉義留には会えなかったけど、ススキの葉っぱで魔除けをつくって帰りました。

後から調べたら、ここは御嶽もあるし沖縄戦の時は激しい戦闘が繰り広げられた場所なんだね。

まとめ

ウンタマギルーの相棒とされる、油喰坊主(あんだくぇーぼーじゃー)みたいな僕が運玉森にいったらウンタマギルーが「久しぶりなぁ!」とか言って現れるかなぁなんて思ったけど、現れなかったですね。

現れたら「あんた実在したの?」って聞こうと思ってたのによ。

まぁでも沖縄版ネズミ小僧のウンタマギルーは、これからもみんなに愛されて語り継がれていくことでしょう。

PS 昔舞台でウンタマギルーをテーマにしたことがあったんですけど、ウンタマギルー自体全く知らなくて、あんだくぇーぼーじゃーも音の響きだけで勝手に「アンダーヘアーがボーボーな人」ってずっと思ってました。
ごめんなさい。


かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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