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吉屋チルー

沖縄本島中部を流れる比謝川は戦後、琉球新報が(正確には読者が)選ぶ“新沖縄八景“というのに選出されるほど風光明媚な景色と、そして、多くの伝説が残る川です。
そんな比謝川にかかる“比謝橋“にまつわる伝説を紹介します。

それは、天才女流歌人と言われた吉屋チルー。
組踊「手水の緑」の平敷屋朝敏、ウルトラマンの金城哲夫など、色んな人が「吉屋チルー」をテーマにした作品を残しています。
他にも小説・映画・舞台・オペラ・評論と様々な分野で主人公として取り上げられている人物でもあります。

嘉手納町民族資料室の近くには昔の比謝橋の縮小模型とこの吉屋チルーが詠んだと言われる“恨む比謝橋“の歌碑があります。


恨む比謝橋や 情けないぬ人の

わみ渡さと思て かけておきやら

石碑より

吉屋チルーが8歳の時、那覇仲島の遊郭に身売りされる際詠んだとされるこの歌は、「恨む」という尋常じゃない言葉で始まっています。

“恨めしい比謝橋は情けのない人が私を渡そうと思ってかけたのでしょうか。
身売りという不条理を背負ったチルーのやり場のない気持ちが、比謝橋や橋をかけた人に向けられ、絶望的な悲しみが伝わってくる“と、石碑には記されてます。


そして那覇のバスターミナル近くには「仲島の大石」というものがあります。
この石碑にはこの辺り(那覇のバスターミナル辺り)が昔海だった事や、近くに遊郭があったことなどが書かれています。

なので、吉屋チルーは身売りされてこの辺りにいたのかもしれません。
そして吉屋チルーにまつわる伝説によると、この遊郭で吉屋チルーが「流れる水に桜花うけて」と詠んだ時、下句を「色美らさあてどすく見ちゃる」と返した人と恋仲になったという話も残っています。
他にも吉屋チルーが詠んだと思われる歌は20首余あるが、そのほとんどが抒情的(ジョジョウテキ)だと言われています。
そして石碑には吉屋チルーは1650年〜1668年で18歳の若さで亡くなっているとされていますが、一説には吉屋チルーは実在しなかったという話もあります。
もちろんそうだとしても、モデルになった人物はいるらしいのですが、そうなると疑問として残るのが
じゃあ、あの歌碑は誰が詠んだの!?ですよね(笑)
それだけじゃなくて、吉屋チルーが詠んだとされる20首余の歌は誰の歌なんだっていう。

西原のウンタマギルーの様に、みんなから慕われて色んな作品にもなってるけど実在しなかったって言われてる人物はいるけど、この様に歌碑もちゃんと残ってるっていうのは珍しいパターンですね。


かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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