戦後、沖縄の人たちを楽しませたエンターテイメントの一つと言えば「映画」である。
特に娯楽の少なかったあの時代、多い時で実に120もの映画館がひしめき合ってたというから、県民にとって映画というのがいかに身近な存在だったのかが伺えます。
よくおじさん達がお金の価値を表現するときに、「100円あったら昔はバスで那覇行って映画見て、そば食べて帰ってこれた」なんて言い方をしますが、その時にも「映画」ってワードは出てきます。
今ではその数も少なくなってしまった映画館、そんな中でも沖縄に現存する最古の映画館「首里劇場」について紹介します。
首里劇場の歴史
那覇市首里にある沖縄最古の映画館、首里劇場の歴史は古く第二次世界大戦終結直後にまで話は遡ります。
1947年、当時はまだ建物はなく空き地を有刺鉄線で囲っただけの青空劇場だったそうです。
実はこのような小屋は沖縄各地に存在していたらしく、沖縄芝居の一座が訪れては上演していたそうな。
また、日本本土や台湾から持ち込まれた(密輸)古い日本映画も上映されて大盛況だったそうです。
そんな中、1950年に米軍の余った資材で建物が作られ、正式に首里劇場としてオープンしたのです。
首里劇場のあゆみ
首里劇場が正式に開館すると映画の上映はもちろん、芸能コンクールや学校の文化祭などでも首里劇場を使うことがあったそうです。
今のように劇場という箱があまりなかった時代、首里劇場は映画という枠を超えて文化の中心と言える存在でした。
実は僕も映画の撮影で首里劇場にお邪魔したことがあるんですが、舞台があって両サイドに花道、客席も2階席が低く作られててすごく一体感のある良い劇場だなぁと感じました。
僕の所属するお笑いの団体でも、10年ぐらい前にいつも定期公演をやってるてんぶす那覇が使えなくなりそうってことで、定期公演を首里劇場でやるか?って話がでた事があります。
でもその話はすぐ無くなりましたが。
というのも、舞台や客席の作りは良いんですけど、沖縄最古の映画館という事もあり建物自体の老朽化がすごくて、トイレなんて恐ろしくてとてもじゃないけど使えない(笑)
映画撮影の時も、どれだけ漏れそうでも首里城近くのコンビニまでひとっ走りしました(笑)
首里劇場の生き残り
1950年に正式オープンし、ちょうどその頃に東京の映画会社から正式にフィルムが輸入されるようになり、映画館には最新の映画をひとめ見ようと大勢のお客さんが詰めかけ、レジ代わりに置いたドラム缶があっという間にお札で溢れたそうです。
(※沖縄の人はレジの代わりにドラム缶を置く習慣でもあるのか笑)
※オキナワンロックの記事を参照
そんなこんなで名実ともに娯楽のトップとして映画の黄金期を迎えます。
この時に、120もの映画館が沖縄にあったと言われています。
しかし、1959年に民間テレビ局が開局して娯楽番組などを提供し始めると、映画館に足を運ぶお客さんがみるみる減っていきました。
これは首里劇場も同様で、1970年代半ばになると上映プログラムをそれまでの一般映画から成人映画へ切り替える事で生き残りを図りました。
それでも1980年代に入ると、レンタルビデオ屋が台頭。それにより各地の映画館は次々に閉館に追い込まれていきました。
まとめ
僕が映画の撮影をしてる時も地元のおじいちゃんらしき人に「あれ、今日はやってないの?」って声をかけられました。
こうやって、今なお首里劇場は根強いファンに支えられて、今日も成人映画を上映しています。
龍潭池越しに首里城を見て琉球を感じつつ、その向かいのすーじぐわぁに入っていくと首里劇場が現れ、戦後の沖縄にタイムリスリップできます。
多分、いや、きっと。今のうちに行っておかないといけない場所のひとつなんじゃないかなぁと個人的には思います。