街中に残る森

沖縄を散策してると、街中に森がポツンと残ってる事が有ります。
普段はあまり気にならないんですけど、意識すると気になる様になってきます。
・・言ってる事わかるかな?(笑)

例えば、今までハゲてなかった人が、自分がハゲてきたら急に周りのハゲてる人が目につく様になる的な。
・・・あってるかな?(笑)

とにかく、よくよく考えたら周りはこんなに発展してるのに、何でこの部分だけ自然が残されてるんだろうっていう場所があるんです。
沖縄の場合、そこに森が残されてる事に“何かしら“の理由があります。
今回は、そんな街中にある“ポツンと雑木林“の紹介です。

ガーナー森

ここは、那覇市小禄にあります“ガーナー森“と呼ばれている場所です。
沖縄都市モノレール、ユイレールの奥武山公園駅と小禄高校の間ぐらいにあります。


ここは割と有名で、伝承ではガーナー森は怪物だったと言われています。


元々漫湖に浮かぶ小島だったガーナー森(現在は埋め立てで陸続き)は、夜になると漫湖から陸地に上がり集落の家畜や人を襲っては村人を困らせたそうです。
それを見ていた神様が、ある日天から岩を落としガーナー森を退治、それ以来ガーナー森は漫湖から動かなくなったといいます。
また、ガーナー森を見張る為に周辺にシーサーを立てたそうです。

奥武山周辺にある案内板によると、琉球王国時代ガーナー森周辺は景勝地として有名だったそうで、冊封使が那覇港から国場川河口(漫湖)にかけての景色の良さを「漁舟夕照(リョウシュウセキショウ)」と褒めたといいます。
また、ガーナー森を「鶴頭山(カクトウサン)」と詠んだ詩も残しています。
ガーナーとは“タンコブ“の事で、ガチョウの事もガーナーというようです。

と、あります。

今は埋め立てで景観がだいぶ変わってしまって、タンコブにもガチョウにも見えませんが、伝説も歴史も残ってる場所です。
また、沖縄本島を北限とするナハキハギ(那覇木萩)という植物が群生する場所にもなっているので、那覇市指定文化財 景勝地・天然記念物として現在も大切にされています。

豊見城の珠数森(ジジムイ・ジジモー)

ここは豊見城市の与根にある場所です。
豊見城の与根は元々“塩田地帯“として有名なんですが、ここにもポツンと雑木林はありました。

ここは“珠数森(ジジモー・ジジムイ)“と呼ばれる場所で、豊見城市教育委員会が発行する資料によると

17世紀中期の「琉球国絵図」には「つゝ嶋」と記されている丘陵である。
「琉球国由来記」(1713年)には大干ばつに王府役人達が那覇の上天妃宮にあった龍王を豊見城城内に安置して龍王に酒や花米、水を供え降雨を祈願した。
その翌日から間切内の各御嶽で雨乞いを行い、最終日には珠数森で間切中の神女や役人達が揃って雨乞いをした。この時、鍋で海水を汲み、これを「珠数大アスメ(霊石)」にかけた後、この鍋を保栄茂ノロが頭にのせ7回廻る祭祀が行われた。

「豊見城市の文化財巡り」 豊見城市教育委員会発行 平成31年発行版

とあります。
要するに“雨乞い御嶽“という事ですね。

森の中には拝所、“与根拝所“がありました。

あ、僕がラジオ番組をやっている豊見城にあるコミュニティーFMのパーソナリティーで、アーティストの“jujumo“(ジュジュモ)さんって方々(夫婦デュオ)がいるんですけど、名前の由来はこの珠数森かもしれない!!
名前の由来をご本人に確認して無いんですけど、きっとそうに違いない!!(笑)


あ〜、勝手にすごくスッキリ(笑)

熱田マーシリー

これは沖縄本島中部、北中城村の国道329号線を北上していると右手側に急に現れる“ポツンと雑木林“です。
ここの周りも畑だったり道だったりで拓けた場所なんですけど、ここだけ手付かずな感じでもっさりとしてるんです。
ここを伝える情報は写真に微かに映ってる“落石注意“の看板ぐらいでしょうか。

そうなんです、ここは琉球王国時代から落石注意の場所として冊封使が避けて通った場所・・・ではありません!!
これは僕のデタラメです。

では真面目に。
ここは“熱田マーシリー“と呼ばれる場所らしく、ここには男女の悲しい恋にまつわる伝承が残っていました。



昔、島尻の具志頭に樽金(たるがにー)という美男子がいたそうです。ある日、樽金は勝連にいるという絶世の美女、真鍋樽(まなんだる)を妻にしようと尋ねます。
すると、真鍋樽のあまりの美しさに樽金は一目惚れ。真鍋樽を妻にしようと求婚します。
一方、真鍋樽の方も樽金の美男子ぶりに惚れてしまいますが、求婚をすぐには承知せず樽金に色々と謎をかけます。
「今度、私のところに来るときは2頭の馬に鞍をひとつ架けてきてください。そうしたら、あなたの願いを叶えましょう」と言って樽金を帰します。

樽金は思案しましたが、なかなかその謎が解けません。そこで、村いちばんの物知りのおばぁさんを尋ねます。おばぁさんは「それは、お産が近い雌馬に鞍をかけて乗ってきなさいという意味だよ」と教えてくれたそうです。
樽金はすぐ教えとおりの支度をし真鍋樽を訪ねました。
すると、謎を解いた樽金に対し真鍋樽は「なんて立派な人なんでしょう」と満足したそうです。
これで夫婦になれるのかなと思いきや、真鍋樽はまた謎をかけます。
今度は「ターチニーブがティーチニーブになる時刻に来てください」と言って樽金を帰します。
樽金はこの謎も解けなかったので、また物知りのおばぁさんに訪ねます。
おばぁさんは「よくニーブイミーは、眠たそうな目というから、ターチニーブは上の瞼(まぶた)と下の瞼がひとつになることの事で、人が寝静まった真夜中の時刻の事だよ」と教えてあげました。
樽金は教え通り、人が寝静まった真夜中に真鍋樽の家を訪ねます。
この頃になると、真鍋樽も樽金のことを好いていましたが、最後の謎をかけます。
樽金の前に、ご飯と小刀と20センチほどの竹の棒が置かれ、真鍋樽はこう言います。
「どうぞ、この謎を解いて私がいる蚊帳の中にきてください」と。
樽金は「ご飯を食べて真鍋樽のとこに行けばいいんだな」と解釈し、小刀で竹の箸を作り、ご飯を平らげます。
この様子を見た真鍋樽は「あなたは私を求めにきたのではなく、ご飯を食べにきたのですか!」と怒って樽金を追い返したそうです。
諦めきれない樽金は、村に帰ると物知りおばぁさんに尋ねます。
おばぁさんは「小刀はシーグ、竹はダキ、ご飯はクミ(米)だから、シーグ・ダキ・クミ。すぐ抱き込めって事だよ。ご飯ばかり食べてたから追い返されたんだよ」と、教えてあげたそうです。

樽金と真鍋樽はこんな事があり、とうとう夫婦にはなれなかったそうです。
そんな中、樽金は不治の病にかかり「私が死んだら真鍋樽の村が見える場所に葬ってくれ」と言い残し死んだそうです。
一方、真鍋樽もこの事を後悔して死んでしまいました。

そこで、樽金と真鍋樽があの世で結ばれるように、ここ熱田マーシリーに一緒に葬られたといいます。


このお話はどういう教示があるんだろう(笑)
素直になりなさいって事かなぁ。

でも、あの世で夫婦になれてるといいですね。
でもこの夫婦、物知りおばぁさんも同居しないとうまくいかない気がする・・。




熱田は北中城の字名、マーシリーの“マ“は真で接頭語、シリーは後ろを意味します。
なので“熱田の後方にある場所“という意味になります。

北中城の隣り、中城村では久場マーシリーと呼ばれたりもしています。
久場は熱田の隣りの字になります。


おわりに

沖縄にはまだまだ、街中に“ポツンと雑木林“があります。
今回のポツンと雑木林の正体は“怪物“と“御嶽“と“伝説“でしたが、ポツンと雑木林が“城“の場合もあります。
街中を散策する際意識すると、案外多くのポツンと雑木林が残ってる事に気づきます。
良かったら意識してみてね〜!

かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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