以前、沖縄には御嶽と呼ばれる、沖縄の人が信仰の拠り所にしている場所があると紹介しました。
しかし、沖縄(特に首里や那覇市内)を観光していると気づきますが、実はお寺も多いんです。
勿論、御嶽と呼ばれる場所の方が数は多いんですが、それでもお寺や史跡になっている寺跡、廃寺となり跡形も残ってないけど歴史書に名前が載ってる場所など含めると、沖縄には凡そ100以上の寺があったとも言われています。
しかも、そのほとんどが首里や那覇を中心に。
そう、ちゃんと沖縄にも仏教は入ってきていて、琉球王国時代には仏教の名君と呼ばれた王様も存在しました。
御嶽などの信仰のイメージが強い沖縄ですが、今でも仏教の影響を垣間見る事ができます。
例えば、いちばん有名なもので言えばエイサー。
エイサーは本土で言う所の盆踊りにあたるとされています。
さ、今回はそんな沖縄の仏教にまつわるお話ですが、掘れば掘るほど仏教の歴史は深く、ちゃんと全部伝えようとすると出家して一生を捧げないといけないレベルなので、ここでは沖縄の仏教が“なんとなく分かる“様に紹介します。
沖縄の仏教
まず沖縄に仏教が伝わったのは13世紀頃と言われています。
なので、本土より約600年ぐらい遅れて入ってきた事になります。
仏教の考え方が国を治めるのに適してると考えた王府は、仏教を積極的に取り入れ、それから仏教と国家は結びついていくわけです。
この国家と結びついたが為に、沖縄には地方まで広く仏教が浸透しなかったとも言われています。(御嶽信仰も根強かっただろうしね)
そんな沖縄の仏教。本土よりは歴史が浅いとはいえ、それでも800年ぐらいの歴史がありますし、色んな宗派もあるし何より、そもそも仏教って難しい!
なので、色々と調べた結果、沖縄の仏教を知る為には、とりあえず“禅鑑禅師“ “日秀上人“ “袋中上人“、この3人のお坊さんをおさえると、なんとな〜く沖縄の仏教の事がわかるんじゃないか との考えに至りました。
という訳でさっそく紹介していきましょう。
禅鑑禅師(ぜんかんぜんし)
まずは禅鑑禅師。
この方は、沖縄に初めて仏教をもたらしたと言われている人物です。
まだ沖縄が琉球王国になる前の英祖王の代(1229年〜1299年)、小那覇に小舟で流れ着いた所を地元の人に助けられたと伝わっています。
この助けられた時のエピソードで、禅鑑禅師は自分の事を「補陀落(ふだらく)僧」とだけ名乗ったと言います。
禅鑑禅師って名前なのに、なぜ補陀落僧と名乗ったのかと言うと、仏教の修行のひとつとされてる“補陀落渡海“に関係するんじゃないかと言われています。
補陀落渡海というのは、西方浄土思想に基づく捨身修行とでも言いますか。
仏教の発祥地、インドのある西の方に観音菩薩がいる極楽浄土があると信じられ、その極楽浄土へ行く為に小舟を出すっていう修行の事です。
ただ、小舟には僅かな食料しか積まずに潮に流されるまま、小舟が沈むまで航海するという荒行らしく、小舟が沈まず入水せず琉球に流れ着いた禅鑑禅師は奇跡とも言えるかもしれません。(本人にとってはそんなつもりじゃなかったかもしれませんが)
そういう経緯で琉球に流れつき、英祖王に“極楽寺“という寺を建立してもらったのが沖縄の仏教の始まりといわれています。
そんな禅鑑禅師、名前に“禅“とつく事などから、禅宗の僧じゃないかとも言われていますが、詳しい事はよく分かっていません。
因みに、沖縄初の寺“極楽寺“は、現在の浦添中学校グランド辺りだったそうで、案内板があります。
日秀上人(にっしゅうしょうにん)1503年〜1577年
この日秀上人も、紀伊の国から西方浄土を目指し補陀落渡海をしたが琉球に流れ着いた僧侶と言われています。
日秀上人は沖縄本島北部、金武に流れ着き、その後金武にある鍾乳洞を拠点に布教活動を行い、観音寺を建てたと言われています。
金武の観音寺は現在もあります。
日秀上人は真言宗の僧侶で、真言宗と言えば退魔が得意と言われています。(もちろんそれだけじゃないですけどね)
そんな真言宗の日秀上人の有名なエピソードと言えば、浦添にある経塚という地名の由来をつくった妖怪退治話や、1519年には妖精伝説のあった現在の那覇市松川に梵字碑を建てたという伝承が残ります。
妖精って聞くとすごく可愛らしいのを想像しますが、対策をしたって事はきっと妖怪の事なんじゃないでしょうか(笑)
ただ、せっかく日秀上人が建てた梵字碑だったんですが、当時の琉球の人は梵字が読めなかった為、「文字も故事も判らない松川の碑文」と言われていたそうです。
それでも一応明治期まで残っていたらしいんですが、道路整備の為撤去され現存はしていません。
袋中上人(たいちゅうしょうにん)1552年〜1639年
袋中上人は、1603年明国へ渡ろうとしたが入国できずに琉球に上陸したと伝わる浄土宗の僧侶です。
袋中上人は、沖縄では“エイサーの祖“といわれている人物です。
沖縄では割と有名です。
袋中上人がエイサーの祖といわれているのは、琉球国由来記という琉球王府が編纂した書物に
本国念仏者、万歴年間、尚寧王世代、袋中ト云僧渡来シテ仏教文句ヲ俗にヤワラゲテ始メテ那覇ノ人民ニ伝フ、是念仏ノ始メナリ
という文章があり、これは“尚寧王の時代に袋中という僧が渡来してきて、仏教の文句(説法)を那覇の人にやわらげて伝えた。これが、念仏の始まり“
という意味で、袋中上人が念仏とともに、念仏踊りを民衆に伝えたものがエイサーの元になっていると伝わっています。
※エイサーについては京太郎(チョンダラー)や念仏者(にんぶちゃー)という人達が広めたという説もあります。これについてはまたいつか。
おわり
他にも、泡盛にもなってる「北谷長老」と呼ばれたお坊さんとか、薩摩が琉球にきた影響で曹洞宗から真言宗になっていったとか色々ありますが、とりあえず今回紹介した3人のお坊さんの名前と何をした人かってのを知ってるだけで、何となく沖縄の仏教を知ってるふーなーできると思うのでおすすめです(笑)
最後に、仏教は宗教というより、哲学っぽいですね。
調べてると面白くなっていって、最近はよく説法を聞いてたんですけど、丸坊主の自分が説法聞いてるんで、周りからは出家したと思われてたみたいですね(笑)