沖縄の伝統行事の中でも高い知名度で、現在も普通に行われているイベント。それが“ムーチー“
ムーチーとは“餅“の事で、主に糯(モチ)米を原料としたモチを月桃やクバの葉で包んで蒸して作ります。
食べ物の名前がそのまま行事名として浸透していったパターンですね。
そのムーチーを仏壇や火の神に供えて健康祈願や疫よけを願う行事で、主に沖縄本島とその周辺離島で行われます。
子供のいる家庭では、子の年の数だけ軒にムーチーを吊るしたり
また、年内に子供が生まれた家では“初ムーチー“を祝って、親類や近所に配ったりするので、「業者ですか?」って数のムーチーを作ったりします(笑)
その逆に、初ムーチーが周りに多いと、お裾分けのムーチーが冷凍庫を占領するなんて事もありますが、幸せのお裾分けだと思ってありがたくいただきましょう。
ムーチー由来
このムーチーという行事、旧暦の12月8日に行われる事が多いんですが、地域によっては旧暦の11月1日・12月1日だったり6日・7日に行われたりと定まっていません。
今では年に1回ですが、首里の金城町では12月内に6回も餅を作ってたって事が琉球の歴史書「球陽」に出てきます。
この行事が旧暦12月8日になったのは1735年からと言われてるので、歴史的には300年近く続いてることになります。
300年前から旧暦12月8日がムーチーだよ〜ってなってはいますが、それより早めにやる地域には“早くやる理由“の言い伝えなどが残っていて、それを見るのも楽しいです。
例えば11月1日と1か月も早くやる地域では、この時期役人が転勤になる為、お世話になった役人にムーチーを持たすため1か月早く行った。とか、1日早い7日に行う地域では、8日にやるとマジムン(妖怪)が来るから、1日早めたって言い伝えが残ってたりします。
この辺はまた後ほど詳しく紹介しましょうね。
ムーチー伝説
沖縄では結構有名な話ですが、ムーチーにまつわる鬼餅伝説があります。
琉球王国時代、鬼になってしまった兄を退治する為、妹が石の入った餅と普通の餅を2つ用意します。
兄を呼び出し、自分は普通の餅を、鬼になった兄には石の入った餅を渡し一緒に餅を食べるんですが、石の入った餅を渡された兄は餅を食べようとしますが硬くて歯が立ちません。
しかし、妹を見ると妹は普通に餅を食べています。
そんな妹を見て驚いてる兄を、妹は崖から突き落として退治します。
こうして、村には平和が戻りましたとさ。
というのが、鬼餅伝説を簡単にしたお話です。
実際は、ここで言う“鬼“と言うのは、所謂角が生えてとら柄のパンツをはいてって感じの鬼ではなく、“人を喰らうようになった者“の事を指すそうです。
つまり、兄は人を喰らう様になったので“鬼“と呼ばれる様になったという事です。
こわっ!
それと、鬼になった兄を退治する際も、鬼である自分でも噛みきれない餅をいとも簡単に食べる妹に驚いた兄は、たまたま妹の陰部を目にします。その時、丁度月経で血が出てたのを見た兄が「そこはなんだ?」って妹に質問します。
すると妹は「上の口は餅を食べる口、下の口は鬼を喰う口だ!」って兄を驚かした為、兄は崖から落ちて退治されたってお話なんですが、これだと妙に生々しいですもんね。
この兄が退治された場所が、首里金城町に今も御嶽として残っています。
内金城嶽(ウチカナグスクタケ)
首里金城町には、内金城嶽というムーチー伝説の由来を伝える御嶽があります。
この内金城嶽には大嶽と小嶽があり、写真の小嶽の方がムーチー伝説の由来が伝わる御嶽になります。
一説によると退治された兄がここに祀られているとも言われますが、実際のところはどうなんでしょう。
この御嶽のすぐ後ろ側が崖になってて、鬼になった兄はこの崖から突き落とされたのかなぁなんて思いつつ。
この御嶽の起源は12世紀以前まで遡るといわれてる相当歴史のある御嶽です。
金城の大アカギ
もうひとつ伝説を。
この内金城嶽には樹齢200年を超えるアカギの大木が数本あって、その中でも樹齢300年を超えてると言われるアカギがあります。そのアカギには「旧暦6月15日には神様が降りてきて、願い事を叶えてくれる」という伝説があります。
大アカギのある場所は立ち入り禁止になってて側までは行けませんが、あまり知られていないパワースポットとして人気のある場所です。
今でも毎年旧暦の6月15日にはここを訪れる人がチラホラ見受けられます。
今年(令和4年)は7月13日が旧暦の6月15日です。
パワースポットが好きな方はいちど訪れてみてはいかがでしょうか?
ムーチーを早く行う言い訳
ムーチーを1日早くやる地域で伝わる、早くやる“言い訳伝説“として、マジムンのせいと紹介しましたが、こんな話が残ってる地域があります。
旧暦12月8日にムーチーをやると、ウチャタイマグラーというマジムンが現れて次々にムーチーを食べていく(腐らす)為、困った人びとは“それなら1日早くムーチーをやろう“という事で、翌年1日早くムーチーをやったところ、ウチャタイマグラーは現れず無事ムーチーができたといいます。
それ以来1日早くムーチーを行うようになったという事です。
このウチャタイマグラー、琉球王国時代に実在した人物らしく、のちの尚円王(金丸)の従者だった男がマジムンとなってみんなを困らせたといいます。
西原の方には今でもウチャタイマグラーのお墓があります。
ウチャタイマグラーの話はまた今度詳しく紹介します。
おわり
今でも普通に行われてる沖縄の伝統行事、ムーチーひとつとっても色んな話がある沖縄。
面白いっすね。
あと、なんでもかんでもマジムンのせいにする節はありますが、昔の沖縄は妖怪ウォッチの世界そのものだったのかもしれませんね。
自分のオバーの家はムーチーを1日早く行う地域だったんですけど、昔オバーに「なんで1日早いの?」って聞いた事があります。
そしたら、うちのオバーは「なんでかね?ワッター(私たち)やガチマヤー(食いしん坊)だからかね」って言ってました。
それはそれですごく現実的ではあるけど(笑)