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沖縄のロック

みなさんは「オキナワンロック」という言葉をご存じですか?
1960年代から沖縄を熱狂させ、本土復帰の頃には全盛期を迎えた沖縄のロック。
その勢いは沖縄を飛び出し本土、アメリカにまで伝わっていったほど。

当時の沖縄はまだ本土復帰前で米軍統治下でした。ベトナム戦争が激化する中、前線基地と位置付けられた沖縄にはベトナムに派遣される兵士、ベトナムから帰還を果たし一時の休息をとる者など様々な兵士が沖縄に駐留していました。
熾烈を極めたベトナム戦争。いつ派遣されるか分からない兵士達の緊張は否が応でも高まっていきました。
そんな兵士達を相手に、まさに「命がけ」で演奏した人たちが沖縄にはいます。
その人たちが生み出した文化こそがのちに「オキナワンロック」と呼ばれる様になっていきます。


現在の中央パークアベニュー

オキナワンロックの歴史

アメリカのベトナム戦争激化によって異民族支配下、要はほとんど植民地状態にあって貧しい生活をしていた沖縄に「ベトナム特需景気」が起こり「高度経済成長」をもたらしました。
沖縄はベトナム戦争において出撃・補給・保養という前線基地としての機能を遺憾なく発揮。
そして、基地周辺住民も戦争と何らかの関りを持ち、生活水準が一気に上昇したのです。
とりわけ、戦地手当という大金を手にした米兵が戦場での肉体的・精神的疲れを癒す場として求めた基地周辺の特飲街ではうなるほどの大金が出入りしました。

癒しを求めた米兵が真っ先に向かう主要な場所が、旧コザ市にあった「センター通り」こと
BCストリート(ビジネスセンターストリート)だった。
現在の沖縄市コザにある中央パークアベニューです。

センター通りにあるバーは早朝から深夜まで営業しないとその「需要」に応じきれなかったそうで、1日の売り上げが2千ドルあったバーも珍しくありませんでした。
1ドル360円ぐらいのレートだった当時、相当な稼ぎだった事が分かります。
この当時の話で、ドル紙幣がレジに入りきらなくてそのまま段ボールや石油缶、ドラム缶に突っ込んでいたっていう伝説はいまだに語り草になってます。

明日は殺すか、殺されるかという死地に赴く兵士達にとって、つかの間の精神的安寧は、女性やお酒、麻薬、そして強烈なビートを効かしたロックだったようです。
沖縄のロックバンドは、そんな彼ら(米兵)の要求に応じる形でスタートしていきました。

オキナワンロックの代表的なバンド

あの時代、米兵を相手に演奏するアマチュア・セミプロのバンドが沢山存在していました。
その中でもオキナワンロックの代表的なバンドとして名前の挙がるバンドがいくつかあります。

例えば、オキナワンロックの父と言われる喜屋武幸雄さんが率いるバンド「ウィスパーズ」
そのウィスパーズが解散、率いてた喜屋武さんにジョージ紫さんが誘われて結成したバンドが「クリスタルチェーン」
ウィスパーズのメンバーの一人だったかっちゃんさんはのちにコンディショングリーンを結成。
そして城間兄弟が活動していたのが「ピーナッツ」
このピーナッツに、クリスタルチェーンを抜けたジョージ紫さんが加わって誕生したのが「紫」
紫を解散後、元々ピーナッツだった城間兄弟が「Island(アイランド)」として活動。
そして「Stay with me」の大ヒットに繋がっていきます。
このStay with meについては、1987年沖縄にきた松任谷由実(ユーミン)さんがライブハウスで聴き大変気に入り、当時自身が担当していたラジオ番組「オールナイトニッポン」のエンディング曲に採用、そこから全国的な大ヒットに繋がったと言われています。
当時はまだ遠い地だったはずの沖縄にもアンテナを張り実際足を運ぶ松任谷由実さんにも脱帽です。

この様に、メンバーの脱退や加入によるバンド名の変更などがありますが、代表的なバンドと言えば

  • ウィスパーズ
  • キャナビス
  • コンディショングリーン
  • マリーwithメデューサ
  • Island
  • コトブキ

といったところでしょうか。

オキナワンロックの伝説

この時代の沖縄のエネルギーは相当なもので、特に基地の街と呼ばれるコザにはオキナワンロックに纏わる数々の伝説が存在します。

ドル札ドラム缶

これは前述のとおり、ライブハウスでは相当なお金が動いていたそうです。
今のライブハウスとは違って、その当時のライブハウスでは45分のバンド演奏ステージが数回、その合間には15分のストリップショーが入りお客さんには必ずホステスがついて接客するといった形だったそうです。
お客さんのアメリカ兵は明日は死ぬかもしれない身で、羽振りがよく相当なお金を落としていったそうです。
その際、レジで計算する暇がなく、入る器があればなんでもって感じでとにかく入れ物にドル札を突っ込んでたそうな。
その時に、ドラム缶にドル札がいっぱいになったって伝説が生まれたそうで、決して大袈裟な話ではない様だ。
また、前線帰りの兵士は手当としてお金を沢山貰ってたので、「山帰り」と呼びホステスのカモにされてたらしく、ホステスの中では誰が一番お金を引っ張れるかで良いホステスか競ったりしてたようです。
山帰りの兵士がお金を全て失ってまた前線に送り返される姿は想像すると少し可哀想な気も・・・。


ビール瓶

この時代、下手な演奏や気持ちのこもってない演奏をすると、客席からビール瓶やイスが飛んでくるのは日常茶飯事だったそうです。
これは、どのバンドの人でも必ず言う話です。
また、酔っ払ったアメリカ兵がステージに上がってきて殴ってきたり、楽器を壊されるなんて事もよくあったそうです。
当時ベトナムに派遣される兵士の多くは20前後の若い兵士だったそうで、訓練を受けて派遣されて行く兵士の中には恐怖で麻薬に手を出すものも多かったようです。
毎日そんなお客さんを相手にしてるとステージから見てこいつはやばいぞってお客さんは目を見ると大体わかるようになったそうで、そんな時は「先手必勝」でステージに上がってきた客とよくケンカになったそうです。
まさに命を削りながらの演奏だったというわけだ。

ステージパフォーマンス

コンディショングリーンのかっちゃんの代名詞的なステージパフォーマンスに「人間ピラミッド」や「人間風車」、「鳥や蛇の首を・・」といったパフォーマンスがあります。
特に最後の鳥や蛇の首を・・・というパフォーマンスは音楽に疎い僕でも伝説として耳にします。
このパフォーマンスが生まれたのは1969年ベトナム戦争真っ只中の、辺野古で生まれたようです。
演奏会場のお店のオーナーが「君たちのおかげでお店が儲かったから、鳥でも潰して食べよう!」ってことになった時、かっちゃんが「可哀想に、どうせ殺されるならステージの上でスポットライト浴びた中で綺麗に殺してあげよう」と言い出して生まれたそうです。
この時お店のオーナーには「ヌーアビトーガ(何を言ってるんだ)」って言われたらしいが実際ステージでやるとお客さんに大受け、基地内でその話が広まりエスカレートしていった結果、ハブを持ってきてこれでやれって言い出す兵隊も現れたそうです。
このステージ上で殺生する話だけが一人歩きしてるが、元々は食べるためにやっていたそうで、ステージ上で潰した鳥はすぐさまテーブルを持ってきて料理教室を開催したらしく、はじめは「やめてー!可哀想ー!」なんて言ってた若いお客さんも最終的には「うん、美味しい!」って食べてたようです。
鳥を潰して食べなかった時もあったが、その時は埋めて線香を立ててお祈りしたみたいです。
本人の話なのでどこまでが本当の話かわかりませんが(笑)

アメリカで演奏

アメリカのディズニーランドにある大きな屋外劇場で行われたジャパンフェスティバルにコンディショングリーンが出演。日本のテレビはNHKしか入れなかったそうです。
その際、ウォルトディズニーの会社から「ロックバンドも欲しい。日本にもロックバンドが一とつぐらいあるだろう」という事で「アメリカに通用するロックバンド」をNHKが探した結果、コンディショングリーンに出演依頼がきたそうです。この時、演奏はもちろんステージパフォーマンスとして人間ピラミッドや人間風車を披露し大盛況だったそうで、「こんなバンドはあと100年は出ないだろう」と言わしめたそうな。
因みにパフォーマンスで鳥や蛇は出さなかったそうで、かっちゃん本人曰く「時と場所に応じたやり方は知ってるつもり」とのことだ。

まとめ


モンゴル800のファーストシングルの沖縄限定版にはシークレット曲としてIslandのstay with me が収録されています。
いまなお現役で活動するオキナワンロックの生きる伝説達。そのイズムは確実にその次の世代に受け継がれていると思います。
その目で確かめて、当時のエネルギーに満ち溢れた“沖縄“を感じるのもいいんじゃないでしょうか。

混沌とした時代背景や人々が必死に生きていたからこそ生まれたのがこの“オキナワンロック“という伝説なんじゃないでしょうか。
しかしこのオキナワンロックもコザという基地の街に数多くある伝説の中の一つに過ぎないのかなぁなんて思ったり。
コザについてはまた今度詳しく調べてみたいと思います。

かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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