沖縄と琉球。
沖縄は1879年に廃藩置県で沖縄県になるまで、琉球王国という独立したひとつの国でした。
沖縄ではこの“琉球“という呼称は会社やスポーツチーム、新聞社の名前など今でも普通に見受けられます。
普通に見受けられすぎて、今まで全く疑問に思わなかったんですけど、せっかくなんで沖縄と琉球という名前について調べてみました。
琉球から沖縄へ
前述したように、まず琉球王国の国王が治めた時代を「琉球」と言います。(ざっくりと言うとね)
この琉球という呼称は中国がつけたと言われており、初めてその表記が確認できるのは「隋書」の“東夷伝“に“流求國“とあります。
(隋書で表記される“流求“は沖縄説と台湾説とありますが、ここでは一旦触れないでおきます笑)
明治政府は廃藩置県をするにあたり、まず琉球王国を琉球藩にします。これが1872年。
その7年後の1879年に沖縄県となります。
なぜ一旦藩にしてから県にするというめんどくさい事をしたのかと言うと、当時中国(清国)に帰属していた琉球をいきなり日本の支配下(県)にすると、中国(清国)の反発を買う恐れがあった為、まずは“藩“にして国王を藩王とし、内国化を図りながら段階を踏んで日本に取り込もうとしました。
ちなみにこの時の国王(藩王)の位置づけは華族になってます。
なので日本側としては、琉球の帰属問題を処理する為、従来の中国風の読み「琉球」ではなく日本風の「沖縄」にこだわり琉球処分を進めていきます。
それから一気に「沖縄」という名前が一般化していきます。
ちなみに、「沖縄」という名前の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説(伊波普猷)と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説(東恩納寛惇)があります。
「おきなは」と初めて表記した文献は「平家物語」長門本という説と、鑑真の伝記「唐大和上東征伝」の中の“阿児奈波島“とする説があって、「沖縄」と漢字を当てたのは新井白石が「南嶋誌」で当てたとされます。
沖縄からまた琉球へ
廃藩置県後、中国(清国)からの切り離しに成功し、「沖縄」という呼称が一般化していきますが、再び「琉球」という呼称が積極的に用いられる様になります。
それが第二次世界大戦後の事です。
沖縄は戦後、米軍統治下に置かれることになります。
当時米軍の沖縄支配の重点政策の基本が“沖縄を日本から切り離す“事で、その為にとられた策のひとつが、“呼称の非日本化“と言われています。
例えば、1952年に米国民政府のもとで設立された住民側の政府が「琉球政府」だったり、米国軍政府の施政下で設置された大学名を「琉球大学」としたのも、その一環と言われています。
こう見ると、琉球から沖縄になった時と全く同じ事が行われているのがわかりますね(笑)
この様に米軍統治下の沖縄では「琉球」と言う呼称は結構使われていて、それが、今もなんの違和感もなく使われる所以なのではないかと思われます。
まとめ
琉球王国から廃藩置県で沖縄になり、戦後、米軍統治下に置かれた時に琉球を強調された沖縄。
嘉手苅林昌さんの「時代の流れ」って唄に
“唐ぬ世から大和ぬ世 大和ぬ世からアメリカ世 ひるまさ変わたる くぬ沖縄“
って歌詞があり、意味的には“中国支配時代から日本の支配時代、日本の支配時代からアメリカ支配時代。珍しいぐらい変わるよこの沖縄“と言った意味で、まさに色んな思惑に翻弄された沖縄を歌い上げてて僕の好きな唄のひとつです。
呼び方ひとつとっても歴史がある沖縄、やっぱいいっすね〜