沖縄ではあちらこちらで見ることができる“石敢當“
“石敢当“や、頭に“泰山“がついて“泰山石敢当“などと表記されている場合もあります。
石敢當は、沖縄では一般的に「魔除け」として言われています。
魔除けとしての石敢當
魔除けとして信じられているこの石敢當は、沖縄の至るところで見る事ができます。
大体は、丁字路や十字路など、突き当たりの壁などに設置されている事が多く、壁に貼り付けられたタイプや、石敢當と掘られた(書かれた)石が置かれている場合など、いくつかパターンがあります。
というのも、沖縄では魔物(マジムン)は真っ直ぐしか進めず、突き当たりにある家には魔物が入ってくると。それを防ぐために、突き当たりには石敢當という魔除けを置くようになったそうです。
石敢當の伝来
石敢當は時期は不明ですが中国から伝わってきたとされています。
沖縄だけの文化なのかと思いきや、数は少ないですが東北地方など全国でも確認されています。
石に彫られてる(書かれてる)“石敢當“というのは、昔の中国の武人の名前と言われています。
そこから、「この武人が強かった為、名前を聞いただけで魔物が恐れる」とか言われていますが、石敢當と掘られた(書かれた)モノは比較的に歴史が新しいものだそうです。
古くは、石敢當と彫られて(書かれて)いない、ただの石を魔除け(石敢當)として設置していたという事なので、沖縄の石敢當で言われている“武人が強かったうんぬんかんぬん“は、後付けなんじゃないかなぁと思います。(個人的にはね!)
しかし沖縄では石を信仰の対象にする事はよく見受けられ(ビジュル石等)、“石“に力が宿る事はあると信じられていました。
こっからが本番、石敢當 考察
では何故、石敢當が「魔除け」として設置されているのか?
他にも石敢當について腑に落ちない事があって、別の事を調べていたらたまたま石敢當について書かれている本があって、その見解が僕は妙に腑に落ちましたので紹介します。
丁字路にて魔物なるものを調べる為に立っていると、これは道を行きかう人々の「視線」であることに気付く。
「祖先からの知らせと御願」ーまぶい分析講義 第2巻ー 医学博士 又吉正治 著
と、あります。
これはどう言う事かと言うと、著者の又吉さんは、丁字路や交差点の魔物の正体は“人の視線“ではないかと伝えています。
さらには
丁字路立ってよく観察していると、道かう人々の視線は、開放している家の中にはそれ程は行かずに、魔除けの石敢当に行くのである。このような事に気付くと、石敢当は明らかに魔除けとして機能していると考えざるをえない。
「祖先からの知らせと御願」ーまぶい分析講義 第2巻ー 医学博士 又吉正治 著
とも。
なるほど!と思わず唸りました。
こっからは僕の考えです。
僕もずっと思ってたんですが、沖縄にはたくさんの魔物(マジムン)がいる(いた)とされます。
有名なもので言えばキジムナーなど、それぞれ色んな言い伝えが残っているんですけど、「真っ直ぐしか進めない」は聞いたことがないんです。
なので、この石敢當は何の魔物(マジムン)に対してのお守りなのかな?って疑問だったんです。
もしかしたら僕が知らないだけで、有名な魔物(マジムン)も真っ直ぐしか歩けなかったのか。
或いは名前は知られていないけど、真っ直ぐしか歩けない魔物(マジムン)がいたのか。
それが魔物(マジムン)が人の視線なら、真っ直ぐしか進めないというのも納得なんですよ。
それだけじゃなく、沖縄の伝統的な家は門から入ると“ヒンプン“と呼ばれる塀があって、回り込まないと入れない造りの家がほとんどです。
これも、魔物(マジムン)は真っ直ぐしか進めないので、魔除けとして門と家の間にヒンプン(塀)を立てています。
それならここにも石敢當があっても良さそうですけど、この塀の高さだと“魔物(マジムン)=視線“を逸らす石敢當の必要がないから設置されていないのか?とかね。
そんな事を考えると、「魔物(マジムン)=視線」説は、だいぶ納得してしまいました。
道行く人の視線を逸らす為なら、ただの石が置かれているよりかは名前を彫った(書いた)方がより人の目につくだろう。
そんな風に“石敢當“と彫られた(書かれた)石が増えていって、いつしか最もらしい話が伝えられていったんではないかなぁと。(沖縄の石敢當はね)
人に興味を示してお節介をする人が多い沖縄なら、人の家を覗く人も多そうだしね(笑)