首里城ガイド

現在首里城は「見せる復興」を掲げて2026年の正殿復元に向けて再建に取り組んでいます。
なのでもちろん、現在の首里城も観光はできます。入れるエリアが制限されていますが、少しづつ公開エリアも増えて来てます。
なんなら、再建に向けて取り組んでいる首里城を見ることができるのは今しかないので、ぜひ今の首里城も見てみてはいかがでしょう?
今回は、そんな首里城の案内を芸人バスガイドが紹介していきたいと思います!!

守礼門

まず首里城を案内する時、最初に紹介するのが「守礼門」です。
創建は1527年〜1555年で、尚清王の時代に創られました。
朱に金文字で書かれた扁額(へんがく)に「守禮之邦」と書かれていることから守礼門と呼ばれるようになりました。
この言葉は中国の皇帝から贈られた言葉で、「琉球は守礼の邦と呼ぶに称する」という言葉から来ています。
創りは天竺様式、唐様式、和風を取り入れて琉球独特の型を作り上げています。
当時は門の真ん中を王様、両端を御家来衆が通ったと言われています。
なので皆さんが守礼門を通る時は、真ん中を通ると王様気分が味わえる・・かも!?(笑)
僕はこの王様のくだりを最初は伝えず、お客さんが通った後にこの説明を入れて、真ん中を通ったお客さんを敬って、両端を通ったお客さんにタメ口で話すという遊びをします(笑)
さ、この2千円紙幣にも描かれている守礼門、首里城と並んで沖縄のシンボルの1つに挙げられるんですが、実は、1958年に復元された当時は日本のガッカリ名所のひとつとして言われていました。
と、言うのも実はその当時、沖縄戦で焼けた首里城がまだ復元されてなく、守礼門の先は見るものがほとんどなかったんです。
その後、1992年に首里城正殿が復元されてからはそう言われる事もなくなり、毎年たくさんの観光客が訪れてくれる様になりました。
オマケ
首里城公園の売店で買い物をすると、お釣りで2千円札を混ぜてくれます。
最近あまり流通してるのを見なくなった2千円札、首里城に来た記念に売店で買い物をして2千円札をゲットしてみては如何でしょうか?




園比屋武御嶽石門

続いて紹介する場所は、園比屋武御嶽石門すぬひゃんうたきいしもん(すぬひゃんうたきいしもん)です。
首里城を観光する時、知らなかったらうっかり通り過ぎてしまいそうな場所なんですが、ここも立派な世界遺産です。


2000年に登録された「琉球王国の城(ぐすく)及び関連遺産群」のひとつ園比屋武御嶽石門。
ここは、1519年尚真王の時代に創建されました。
扉以外は琉球石灰岩で作られていて、ここでは王様が外出する際に旅の安全を祈願した場所と言われています。
石門の向こうは“園比屋武御嶽“になっています。
“御嶽“とは?
御嶽は、神様がニライカナイから降りてくると信じられていた場所。聖域です。
今も信仰の対象として拝みをする人が訪れます。

この石門も沖縄戦で破壊されて今の石門は復元されたものなんですが、明らかに色味の違う琉球石灰岩が見えるのは、残ってた石門を再利用して新しく石門が復元された為です。


歓会門

続いて見えてくるのが、首里城第一の城門「歓会門」
別名「あまえ御門(うじょう)」とも言われていました。
あまえとは、琉球の古語で「喜んで迎える」という意味です。

第一の“城門“と言いましたが、守礼門は“坊門“なので、この歓会門が首里城の城門になります。
簡単に説明しますと、城門はお城の門、坊門は町中にある門。といった所です。
ちなみに守礼門は第二の坊門で、第一の坊門は中山門というのがあったんですが、明治時代(1908年)に老朽化のため取り壊されて、今は残っていません。


瑞泉門

続いての門が「瑞泉門」
瑞泉というのは「立派な、めでたい」という意味で、すぐ側にある龍樋にちなんでつけられました。
別名は「ひかわ御門」とも。

この瑞泉門に対でいるシーサーが、沖縄のシーサーの祖と言われています。
このシーサーをお手本に石大工が彫ったシーサーが、各村に広がっていったと言われています。
もちろん今いるシーサーは復元です。

ちなみに、現存する沖縄最古のシーサーは、八重瀬町にある「富盛の石彫大獅子」が記録に残ってる中では一番古く、1689年に設置されたそうです。

龍樋(りゅうひ)

ここは龍の口から水が湧き出していることから、「龍樋」と言われています。
そしてこの龍樋から湧き出た水が溜まってる泉の事を「瑞泉」と言います。
現在の首里城はそのほとんどが復元なんですが、実はこの龍の頭、これは復元ではなく本物です!
1523年に中国から持ち込まれた龍頭が、戦火を逃れて今もこうして水が湧き出てるというというだけでも、おめでたい泉です!

漏刻門

首里城第三の門、漏刻門。
ここでは、カゴに乗った高官でもカゴから降りないといけなかった事から、別名「カゴ居せ御門」とも呼ばれていました。
この「漏刻」とは中国の言葉で「水時計」を意味します。漏刻門では晴れの日は日時計で、雨の日は櫓の中にある水槽で時刻を計り、太鼓を打ち鳴らして時を知らせる時計台の役目を果たしていました。

城壁

さてここで、漏刻門をくぐる前に、城壁が見やすい場所に出ます。
お城と言えばこの城壁の積み方も面白いんです。
ちなみに、首里城の城壁は
野面積み・布積み・相方積みの3つの技法を用いて積まれています。
野面積み・・石本来の形を利用して積む方法で、歴史が一番古い技法。
布積み・・・石を四角に加工して積む方法で野面積みの次に古い技法。
相方積み・・石を5角形や6角形に加工して積み上げる技法で、接地面が多く頑丈で、技法としては一番新しい。

ここでは門に向かって右手側が布積み、左手側が相方積みが確認できます。
なので、右手側の城壁より、左手側の城壁の方が後から造られた事が確認できます!

日影台(にちえいだい)

これが日時計。昔から日時計と水時計を使い分けて時間を測ってたなんて、もしかしたら沖縄の人って「うちなータイム」なんかじゃないかもしれない(笑)

広福門

こちらが「広福門」です。
首里城の内郭にある事から、「中御門」とも呼ばれていました。
門を挟んで右側が、寺社仏閣に関わる役所の寺社座。つまり寺社奉行所として使われていました。
門を挟んで左側が、大与(おおくみ)座と言い、士族以上の家の出生届、死亡届などの戸籍のことや、財産を巡っての争い事を調停する役所でもありました。
ここを抜けると、券売所があってそこから有料区域へと続いていきます。

最後に

広福門を抜けた先にある下之庭(しちゃぬうな〜)には龍柱の修復作業もみる事ができましたよ〜!
僕が行った時は作業が終わってて、龍柱が今か今かとその時を待ってるかのように横たわってましたが。

そして有料区域に入ると、痛々しいんではあるんですが、中々見れない貴重な状態の首里城を見る事ができます。

今の首里城もぜひ一度、見てみては如何でしょうか?

かいたひと

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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