瀬長島

飛行機の搭乗まで少し時間があるけど、那覇市内に行くにはちょっと時間が足りない。
そんな時におすすめなのが、ここ“瀬長島“です。

那覇空港から近く、手軽に沖縄を満喫する事が出来ます。

きっと瀬長島の楽しみ方の王道は、地中海を意識したウミカジテラスで海を見ながら買い物や食事を楽しむ事かもしれませんが、今回ウミカジテラスの様子を伝える写真は1枚もございません!

歴史的な場所をみるあまり、現在を疎かにしちゃいましたスイマセン!!
今度、瀬長島に行ったら写真におさめてきます。

さ、では開き直って瀬長島の紹介です。

瀬長島の歴史

瀬長島には、豊見城発祥の伝説が残ります。
琉球を創ったと言われるアマミキヨの子、南海大神加那志が最初にこの島に住み、そこから豊見城の世立てが始まったといいます。

豊見城発祥の伝説が残る事から、かつては信仰の島、神の島として知られており拝所も多くありました。
干潮時には歩いて、満潮時にはサバニを用いて島に渡り、人々は拝所を訪れたといいます。

しかし、第二次世界大戦後は米軍の弾薬庫として使用され、沖縄の人は立ち入り禁止になってしまいます。
その時に、瀬長島入り口近くのアカサチ森に島遥拝の拝所が建てられ、人々はそこから島の拝所に御願を通したそうです。
でも皮肉な事に、米軍に接収された事によって海中道路が作られ、瀬長島は沖縄本島と結ばれる事になります。
その後、1979年に返還。

子宝岩

瀬長島に入り、左周りでぐるっとまわると、海に子宝岩というのがあります。

案内板によると

“波打ち際に立つ岩は、戦前までは存在していた「子宝岩」を再現したものです。
言い伝えでは、その子宝岩には上下二つの穴が開いており、いつの頃からか村内外から人々がここを訪れ「子宝に恵まれますように」と祈り、男の子が欲しければ「上の穴」、女の子が欲しければ「下の穴」へ小石を投げ入れて願掛けする習わしがあったとされています。
建造にあたっては、地元の方々から聞き取り調査を行い、瀬長島より採取された岩を利用して再現しております“

と、あります。

岩の下に堆積している小石の量からも分かる様に、きっと今まで信じられないぐらいの人数に小石を投げられたんでしょうね。

案内板でもあった様にこれは再現で、元々の子宝岩は海ではなく陸地側にあって、「瀬長島のクヮッナシガマ」(子授け洞窟)と呼ばれて全島各地から多くの人が拝みに訪れていたといいます。

それが米軍に接収され弾薬庫として使用された際に、基地建設で殆どの拝所が破壊されたそうです。

瀬長島にはグスクもあった

瀬長島には瀬長グスクというグスクもありました。
瀬長按司の居城で、中山軍によって滅ぼされたと伝わります。

昭和初期は沖縄八景のひとつに数えられるなど、豊見城を代表する風光明媚な場所だったそうです。

また、男女の恋愛を題材とした組踊「手水の縁」の一幕も、瀬長島が舞台設定だと言われています。

これがその組踊の舞台のひとつですよ〜って石碑です。

組踊は勉強不足であまりわからないので、勉強したら紹介します(笑)

おわり

他にも、瀬長島と言えば、那覇空港に離着陸する飛行機の撮影ポイントとしても有名です。
でっかいカメラ持ってる人は、大体瀬長島海中道路(入り口付近)でカメラを構えてますけど、こんな感じで普通に「飛行機と子宝岩」みたいな写真も撮れます。

因みに、県内の3大飛行場撮影ポイントは、ここ瀬長島と嘉数高台公園と道の駅かでなの3箇所です。
まぁ瀬長島以外は米軍の飛行場撮影ポイントですが(笑)

とまぁ、見事にウミカジテラスの事に触れない内容となってしまいましたが、白を基調とした地中海風な建物が立ち並ぶウミカジテラスも見所たくさんあります!
なので、瀬長島に訪れた際には、ウミカジテラスも瀬長島グスクも子宝岩も、瀬長島を隅から隅まで楽しんでください!!

かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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