沖縄の住宅事情

沖縄の家と言えば、木造の赤瓦の家をイメージする人もいるかもしれませんが、今の沖縄では鉄筋コンクリート造りの住宅が多くを占めます。
沖縄の鉄筋コンクリート住宅率の高さは全国でもズバ抜けています。
“石を投げれば鉄筋コンクリート住宅に当たる“レベルです。
しかも鉄筋コンクリートは強いので、石が当たったぐらいじゃビクともしません。(だからって試さないでね)
今回は、そんな沖縄の住宅事情です。

鉄筋コンクリート

沖縄の鉄筋コンクリート住宅率の高さは全国1で、総務省統計局が2018年に発表した統計では、沖縄の鉄筋・鉄骨コンクリートなどの非木造住宅の割合は96.6%、木造住宅は3.4%。

全国平均は、鉄筋・鉄骨コンクリートなどの非木造住宅の割合は43.1%、木造住宅が56.9%なので、沖縄がいかに鉄筋・鉄骨コンクリート造りの住宅が多いかわかります。


このデータだけ見ると、赤瓦屋根で木造造りの“沖縄っぽい“住宅を見るのは中々大変かもしれませんね。

一応、赤瓦屋根だけなら結構見ることできます。


沖縄の住宅移り変わり

沖縄は元々、木造住宅文化圏で、琉球王国時代は主に沖縄本島北部の山原から木材を調達しています。
山原の森はかなり広い様に感じますが、人口に対して充分な森林資材を有していたとは言えなかった様で、資材枯渇問題が生じた事により蔡温という琉球王国時代の政治家が、住宅構造や使用可能木材の制限(森林管理)など法的な改革をしています。
この政策は沖縄県になる明治期まで続きます。


その後、森林管理体制が崩壊した事によって山原の森からの木材調達が困難になるんですが、県外から木材(スギ)を調達する事で、木造住宅文化を維持します。
これは、沖縄戦まで続きます。


沖縄の人は、沖縄戦でほとんどの住宅が焼失してしまったので、軍政府から貰った材料で作られた仮設住宅に住む事になります。
この仮設住宅は応急的な作りの為、台風が襲来する度に被害があったそうです。
それでも、木材のスギが安価で手に入る為、戦後復興期に建てられた住宅の多くは木造でした。

木造から現在のコンクリートへ変わるきっかけとなったのが、1949年に沖縄地方を襲ったグロリア台風の影響と言われています。
最大瞬間風速64.5m /s の猛烈な風で、沖縄諸島では死者38人、負傷者252人、住宅の全半壊3万929戸、公共建物の全壊555棟と、戦後最大級の災害となりました。
また、米軍の施設もおよそ50%が破壊されるなど甚大な被害を受けます。
この事がきっかけで軍政府が建物のコンクリート化へと舵を切ります。

コンクリートはまだ高価でしたが、沖縄が戦後のB円体制からドル体制に変わった事による貿易構造の変化で、スギ材が高騰する一方、県内でセメントが安く手に入りるようになり、台風に強いコンクリート造りの住宅を選ぶ住民が増えていきます。

そういう流れがあって、現在の沖縄の住宅事情になるわけなんですね。

近年は技術の進歩で、台風に弱いとされていた木造住宅の弱点が克服された事や、シロアリ対策などが進んだ事もあり沖縄でも木造住宅は増えつつあります。

おわり

しかし、沖縄の事を調べてると、“米軍“と“台風“はほんとよく登場しますね。
台風銀座と呼ばれるぐらい台風の多い沖縄。
住宅事情を変えてしまうほど、自然の力ってすごいんですね。

それにしても、世界の米軍を相手に甚大な被害を出すなんて・・・。やっぱ自然には勝てないですね。




かいたひと
ゴリラ勇介

沖縄で「ゴリラコーポレーション」というコンビで芸人をやっています。
普段は漫才やコント、新聞での執筆活動、ラジオで喋るのも聴くのも好きで、ラジオ沖縄では「people wave α」という番組もやりつつ、タイムテーブルでラジオコンシェルジュを執筆しています。RBCiラジオでも「只今いきものんちゅ」という番組をやっています。

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